北山本門寺(きたやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市北山にある日蓮宗の寺院で、同宗の七大本山の1つ。日興の法脈を継承した富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する 西山本門寺、 大石寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成する。また、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられる。正式呼称は法華本門寺根源。山号は富士山。他の通称に重須本門寺がある。日興は1293年(永仁元年)に石川能忠の寄進をうけて北山に重須談所を設けると、同時に、本堂・御影堂・垂迹堂の建設にとりかかり、5年後の1298年(永仁6年)に落成した。大石寺は弟子の日目に譲ったが、日目が南条時光の血縁関係であったことも理由のひとつとされている。同様に石川一族は、日興の血縁関係者であった。日興は晩年の36年間を重須談所で過ごした。日興の後は第2代として日代が継いだが、日代は教義上の対立から地元大衆に寺を追い出され、西山本門寺を建立して初代住職となった。旧本門宗時代は、同宗の総本山、宗務院がおかれた。三派合同後の新日蓮宗では、同宗の七大本山の一つに列せられている。興統法縁の縁頭寺。日蓮宗にとって、本門寺という呼称には特別な意味が込められている。中国の天台大師は天台山に、日本の伝教大師は比叡山に寺塔を建立したが、日蓮は寺塔を建立する場所を示さなかった。「冨士一跡門徒存知の事」によれば、景勝地を選んで寺塔を建立するべきであり、その景勝地は富士山であり、そこに建立されるべき根本の寺が本門寺であるとされる。本門寺を建立することが日蓮の遺志を継ぐこととされ、その名称は、日蓮の弟子にとっては特別な名称であって根本中の根本であり、日蓮の教えの中心であるということになっている。境内には、日尊上人腰掛石がある。日興は重須談所で弟子の育成に努めたが、窓の外を舞い落ちる木の葉に気をとられた日尊を破門した。破門された日尊は、諸国を巡り36箇寺を建立したと伝えられている。破門されてもなお毎年、お会式には必ず参詣に来た。しかし本堂に入ることは許されないため、人知れず門の外の石に腰掛て参詣したという。
出典:wikipedia
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