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西山本門寺

西山本門寺(にしやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市西山にある、単立の本山。日興の法脈を継承し、勝劣派、富士門流に属し、静岡県の駿東地方に所在する、上条大石寺、重須本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、さらに、京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられる。境内は全体で360町歩の広さがあり、黒門から本堂裏手の墓地まで直線で2kmの広大な敷地がある。日興の弟子日代は、師が没すると重須本門寺を相承した。その後、重須の地頭石川実忠や信徒らと対立し、子弟を連れて重須本門寺を離山した。1344年(康永3年)西山の地頭大内安清から寺地の寄進を受け、西山本門寺を建立した。18世日順は、京都上行院を通じて後水尾天皇の皇女常子内親王の帰依を受けた。常子内親王は、1678年(延宝6年)後水尾天皇の位牌を当寺に納め、1683年(天和3年)には書写した法華経を両親の菩提のために納めた。常子内親王の夫近衛基熙が関白になった際、書写した祈祷経を納め、西山本門寺を祈祷所と定めた。寺伝によると、日順の父である原宗安(原志摩守)は、本因坊日海(本因坊算砂)の指示により、織田信長の首を西山本門寺まで持ち帰り、柊を植え首塚に葬ったという。寺にある柊は推定樹齢450~500年とされ、年代的にも符合している。20世日圓は、水戸徳川家の出身により、徳川光圀の寄進を受けて伽藍を整えた。本山とともに単立の末寺として等がある。本山が日蓮宗から独立し、日蓮正宗に移籍する時、追随せず日蓮宗に留まった末寺は12箇寺ある(詳細は興統法縁会を参照)。

出典:wikipedia

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