マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のロックバンド。バンド名はベーシストのマイキー・ウェイの発案で、アーヴィン・ウェルシュのカルト小説「」に由来する。パンク・ロック、ハードコアを基調としたメロディアスで多様な音楽性はクイーンやザ・スミス、ブラック・フラッグ、アイアン・メイデン、ジョイ・ディヴィジョン、ミスフィッツ、バウハウス、デビッド・ボウイ、ザ・キュアー、スマッシング・パンプキンズ、ピンク・フロイドなどから影響を受けている。また、エモに分類されることの多いバンドであるが、本人達はその分類を明確に否定している。2007年には、日本の音楽番組「ミュージックステーション」に出演したり、武道館でライブを行うなど、日本でもブレイクした。2013年3月22日に解散し、世界中のファンを驚かせた。初期メンバーの5人全員がニュージャージー出身で、フランク以外はハイスクール在学中から親しくしていた。そのころから、バンドを結成したりしていたが、長くは続かなかった。ハイスクールを卒業後、4人は一旦それぞれ自分達の将来を探すために散っていったが、連絡を取り合うことだけは欠かさなかった。ジェラルドは、母親の実家の地下室に住みながら、ニューヨークでアニメーションの仕事をしていた。しかし、次第にそんな毎日、自分の生き方に疑問を持ち始める。そんなジェラルドは仕事にニューヨークへ向かう途中、フェリーから直接9.11テロを目の当たりにし、自分の生き方として音楽活動を選ぶ決意をする。そして、同じ疑問を抱えていたマットと連絡を取り合い、2人は一緒に音楽をする決意をする。2人だけではあったが、ここに一番初期の段階のマイ・ケミカル・ロマンスが誕生する。ジェラルドとマットの2人で、最初の曲となる「Skylines And Turnstiles」を作る。そのあと、マイキーがベーシストとして加入し、マイキーの知るなかで一番うまいギタリストの友達、レイを加入させる。この4人でデモテープを作る。そして、そのデモテープがアイボール・レコードの目に留まり契約に至る。2002年、デビューアルバムのレコーディング中にフランクが新たなギタリストを希望し、Pency Prepを解散し、加入。その後、たった2週間でレコーディングを終え、最初の曲である「Skylines And Turnstiles」をリリースする。そして、2002年の殆どを、アメリカやヨーロッパでのツアーに費やし、この時より確かなファンベースを獲得する。2003年7月には、サーズデイのGeoff Rickly (Vo)のプロデュースのもと、ファーストアルバム『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』がインディーズより発売される。彼との親交は、ジェラルドがサーズデイのTシャツを描いた事から続く縁である。そしてバンドは、メジャーレーベルのリプリーズ・レコードと契約し、セカンドアルバム『Three Cheers For Sweet Revenge』を制作する。本作で、バンドはメジャーデビューを果たし、多くの雑誌やメディアに取り上げられる事になる。なお、セカンドアルバムは、1週間でファースト・アルバムの約2倍も売れるなどといった驚異的な売り上げ数を記録した。日本でも、日本デビュー前にも関わらず「フジロック」と「サマーソニック」の間で争奪戦が繰り広げられるなど、話題となり、その結果「サマーソニック04」にて初来日し、多くの観客を熱狂させた。その来日後、ドラマーのマットが脱退するという事件が起こる。理由は、マットとバンドの考え方の違いから折り合いが悪くなった事が原因である。バンドはその後、新たなドラマーとしてボブを迎える。ジェラルドの薬物中毒とアルコール依存症に伴ううつ病の悪化など、バンドとして苦しい状況を迎えるが、ジェラルドの禁酒宣言で、問題は解決。2005年2月には再来日し、ワンマンツアーを敢行。また、4月には世界的人気バンドのグリーン・デイのアメリカ・ツアーのサポートに大抜擢され、この頃、バンドを取り巻く状況の変化に戸惑っていたジェラルドに、グリーン・デイのボーカルのビリー・ジョーが「世界には正しいロックスターが必要なんだ」とアドバイスした。そして、夏のワープト・ツアーに参戦し、同年5月にメジャー・デビューしたフォール・アウト・ボーイと共に、エモシーンの盛り上がりに拍車をかけた。その後も、2006年8月には「サマーソニック06」に出演するなど、精力的に活動している。2006年10月、サードアルバムからの先行シングル「Welcome To The Black Parade」が全英シングルチャート1位を獲得。同年、死をテーマにしたサードアルバム『The Black Parade』をリリース。アメリカのアルバム・チャートで1位を記録。このアルバムは、世界各国で大ヒットし、世界的に有名になる。その後、世界各国でツアーをし、2007年1月には、東名阪と合計4箇所で、3度目となる来日公演を行った。同年5月には、初の武道館公演を行った。この武道館での公演が、日本でのブラックパレードツアーの最終公演となった。その後も、世界各国でツアーを続け、2008年5月9日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、ツアー全体のフィナーレを飾った。2008年、メキシコでのツアーを収めたライヴ・アルバム『The Black Parade Is Dead!』をリリース。その後は、世界ツアーでの疲れを取るため、活動休止に入る。この時、「バンドが解散するかと思ったよ」と言うジェラルドだが、詳しい事情については不明。2009年、フォースアルバムリリースに向けてのレコーディングも含め、活動を開始。映画『ウォッチメン』の主題歌として、ボブ・ディランの「Desolation Row」をカヴァーする。同年、ジェラルドが氷室京介とコラボした楽曲「Safe And Sound」を発表。2009年8月には、「サマーソニック09」に、ヘッドライナーとして出演。2010年2月、ジェラルドの喉の調子が思わしくないため、オーストラリア・ツアーをキャンセルした。2010年3月、フランクが公式サイトにて、ボブ・ブライヤーがバンドを離脱したことを発表した。だが、なぜボブが離脱したかの理由の詳細については発表されていない。2010年に入ってから、バンドメンバーとボブの別々の活動が目立ってきたという。2010年9月、公式サイトにてフォースアルバム『Danger Days: The True Lives Of The Fabulous Killjoys』を11月にリリースすることを発表した。プロデューサーは当初ブレンダン・オブライエンを迎えたとしているが、新たにロブ・カヴァロを起用している。本国アメリカでは11月22日、日本では11月24日に発売された。アルバムからのNa Na Na (Na Na Na Na Na Na Na Na Na)」を9月28日、セカンドシングル「SING」を11月9日にリリースした。2013年3月22日、オフィシャルサイトにて正式に解散を発表。1年後の2014年3月にはバンド結成以来リリースされてきたほとんどのシングルを収録したベスト・アルバム『May Death Never Stop You: The Greatest Hits 2001-2013』をリリースすることを発表した。ボーカルであるジェラルド・ウェイは"エモ"というジャンルを嫌っており、明確にそれに分類される事を拒んでいる。 また、エモというジャンルに関しては"fucking garbage"であると言及している。 バンドとしては公式サイトに於いて自身の音楽性について純粋に"Rock"、または"Violent, dangerous pop"であると述べている。 その他にジェラルド氏は以下のようにエモという音楽の分類について発言を重ねている。"本来的には、僕達の音楽についてエモだと分類することは全くの誤りだ。以前クリスチャン・メタルのバンドとツアーを行ったけれど、それまでにエモ・バンドの誰もが僕達と一緒にツアーを行おうとしなかった。彼らは自身のジャンルのバンドとお互いにツアーを行っていたからだ。僕はエモというジャンルに関してはただのゴミクズ(fucking garbage)だと思うし、くだらないと思う。僕が思うに、僕達が不運にも括りを与えられたエモというジャンルには誤ってエモであると分類されたバンドが他にもいて、それが僕達をエモに分類する事を促したんだ。今僕に言える事は、誰もがエモ・バンドのレコードと僕達のレコードをそれぞれ聴き比べれば、何処にも似ている箇所はないとわかる、という事だ。エモはそびえ立つクソ(a pile of shit)だと思うよ。"日本盤はワーナーミュージック・ジャパンからの発売。なお、それぞれのアルバムのコンセプトは「ひどい失恋」(アイ・ブロウト・ユー・マイ・ブレッツ、ユー・ブロウト・ミー・ユア・ラヴ)、「祖母の死」(スウィート・リベンジ)、「自分の道を生きる決意」(ザ・ブラック・パレード)といった個人的経験が元となっている。それらの経験、困難を乗り越え、フォースアルバムでは「僕らが君たちを救う」(デンジャー・デイズ)としている。
出典:wikipedia
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