スガノホマレは、日本の競走馬。中央競馬三冠馬シンザンの初期の産駒である。1971年7月25日、新潟競馬場の新馬戦でデビューし2着。2戦目の新馬戦で初勝利すると3戦目の芝1200メートルの平場オープン競走で1分10秒3のレコード、2戦をはさんだ芝1100メートルの福島3歳ステークスでもふたたびレコードタイムで優勝した。朝日杯3歳ステークスはトクザクラの5着で3歳戦を終えている。翌1972年6月17日、復帰戦の芝1600メートルの平場オープン競走で3度目のレコードを出すと、日本ダービーに出走して優勝したロングエースから2秒6差の23着に敗れる。次走の日本短波賞で初重賞制覇をする。このレースではフランス帰りの野平祐二が騎乗し、直線最後方からイシノヒカル以下12頭を差しきっての勝利となった。秋には菊花賞を目指し、セントライト記念2着となるが、本番の菊花賞は7着に終わった。年末の芝1400メートルのCBC賞では4度目のレコードを記録している。年が明けアメリカジョッキークラブカップ2着、東京新聞杯1着、中山記念6着、マイラーズカップ10着のあと、天皇賞(春)に出走したが、競走中に故障を発生し、競走中止となった。1年以上の休養を経て復帰したが、その後24戦してレコードタイムで勝利した芝1800メートルの京王杯オータムハンデキャップ以外で勝利を挙げることはできなかった。芝1100メートル、1200メートル、1400メートル、1600メートル、1800メートルでレコード勝ちを収めるなど、スプリンター / マイラー系の馬だったといえよう。しかし7歳(現在の馬齢表記は6歳)時の新潟記念で58キログラムの負担重量を課されながら2着になっており、単なる早熟なスプリンターではなかった。なお、京王杯オータムハンデキャップで記録した1分46秒5の日本レコードはその後12年破られなかった。レコード5回はタケシバオーと並ぶJRA記録である。引退後種牡馬となるが、国産種牡馬不遇時代ゆえに繁殖牝馬が集まらず、目立った活躍馬はいない。代表産駒は中央競馬で2勝を挙げたスガヒスイ、ミヤギノホシ。父は偉大なるシンザンであるが、初期の活躍馬である同馬が極端に道悪馬場が苦手であり、シンザンの産駒は皆道悪下手というレッテルが貼られた感がある。もっともシンザン最高の代表馬ミホシンザンも極端に下手なため、間違いではないという説もある。
出典:wikipedia
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