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日産・スカイラインGT-R

スカイラインGT-R("SKYLINE GT-R" 、スカイライン ジーティーアール)は、かつて日産自動車がスカイラインの最上級、最高級グレードとして生産・販売を行っていたスポーツカーである。愛称は「アール」「スカG-R」「GT-R」のほか、各代の愛称・型式でも呼ばれる。“GT-R”の歴史は、ツーリングカーレースで活躍した先代プリンス・スカイライン2000GT-B(S54B-II型)の後継車として、1968年10月開催の第15回東京モーターショーへ「スカイラインGTレーシング仕様」を出品したことに始まる。これはスカイライン2000GT(GC10型)の車体へ、GTプロトタイプレーシングカーである日産・R380のエンジン・GR8型をベースに開発された直列6気筒DOHCエンジンを搭載したものである。この「GTレーシング仕様」がほぼそのままの形で、1969年2月に初代GT-R(PGC10型)として発売された。以降、2世代5代に渡って開発・生産・発売された。スカイラインの中でもレースでの使用を主として開発された車種であり、日本を代表する高性能車の1つである。レースレギュレーション内で最大の性能を発揮する専用エンジンと装備品を組み込んでいるのが特徴であり、出場したモータースポーツ全般で数多くの勝利を上げている。開発はプリンス自動車工業時代からS74型として着手されており、発売は日産自動車合併以後の1969年2月である。当時スカイラインのボディは4ドアセダンと5ドアステーションワゴンの2形式であり、ロングノーズの2000GT(GC10型)は4ドアセダンのみであったことから、GT-Rも当然ながらセダンボディで発売された。このため、おとなしいボディに獰猛なエンジンという意味の「羊の皮を被った狼」のキャッチフレーズが先代プリンス・スカイライン2000GT-Bからそのまま受け継がれた。同年10月にはスカイラインシリーズ全体のマイナーチェンジに伴い、外装・内装に若干の変更が行われる。外装はヘッドランプハウジングが独立したタイプの3分割グリルだったものがワンピースグリルと呼ばれるものに、めっき仕上げだったフェンダーミラーはつや消し黒に、内装ではステアリングホイールがウッドから、それまでスポーツオプションだった合成ゴム成型に変更された。1970年10月、C10型のマイナーチェンジと同時にハードトップと称するホイールベースが70mm短縮された2ドアハードトップボディが追加されたことに伴い、GT-Rは4ドアセダンに替わり2ドアHT(ハードトップ)のKPGC10型となった。C10型マイナーチェンジによる変更点を除くPGC10型からKPGC10型への限定した変更点として、リアホイールアーチにFRP製の黒いオーバーフェンダーの装着、フェンダーミラーを砲弾型からタルボ型へ変更、フロントグリルの意匠変更、などである。4ドアセダンをベースに2ドアHTを設定する場合、ハードトップスタイルを採用する例は同時期の西ドイツで多く見られるが、Bピラーがなくなることで低下するボディ剛性を担保する手法の一つでメルセデス・ベンツが好むホイールベース短縮を採用しており、フレーム剛性を据置きつつ若干軽量化を実現した。より低く流麗となった2ドアHTボディは空気抵抗を低減し、短縮されたホイールベースは運動性能を高めることから、GT-Rの競争力はさらに向上した。外観におけるGT系との相違は、拡大されたトレッドに対応するためリアホイールアーチがサーフィンラインをカットして上方へ拡大されているほか、前後ウインドシールドをはじめとした全てのガラスが青色の熱線吸収タイプではなく4気筒モデルのスタンダードと同じ無色透明タイプになり、リアデフォッガーやモール類、装飾類、ホイールカバーが装備されない点などが挙げられる。これらに加えラジオがオプション装備であるため、選ばなければアンテナもない。また、KPGC10前期型にはオプション装備のリアウイングを備えた車もある。防錆塗装はオプションであった。総生産台数はPGC10型が832台、KPGC10型が1,197台。この代の一番のトピックは、プリンス・R380で使用されていたGR8型エンジンを設計叩き台として開発された日産・S20型エンジンを搭載した事にある。詳細はS20型エンジンの項目にあるが、前任のプリンス・スカイライン2000GT(S54型)に搭載されていたG7型エンジンがツーリングカーレースにおいて既に競争力を失いつつあったため、S20型エンジンを開発・搭載したものである。排気系には3気筒ずつそれぞれ1本に纏められたステンレス製等長エキゾーストマニホールドを採用し、消音器の外殻を共用する以外は大気開放するテールパイプまで完全2本分割である。ギアボックスは日産自動車内製のFS5C71AおよびB型フロアシフトである。全段ポルシェ式サーボシンクロの常時噛合いギアで、レース用に用意されている3種のギアパターン中、1速が最もローギアの5速クロスレシオが標準装備として採用されており、他の2パターンはスポーツオプションとされた。PGC10型からKPGC10型前期までが、クラッチケース、ギアケース、エクステンションに三分割されたA型、KPGC10型後期はクラッチ・ギアケース、エクステンションに二分割されたB型である。ディファレンシャルギアには多板クラッチ式LSDを装備していた。サスペンションは2000GTと同一の前ストラット、後セミトレーリングアームであるが、スプリング、ダンパーおよびフロントのみに装着されているスタビライザーがそれぞれ強化されている。ブレーキも2000GTと同一の前ディスク、後リーディング・トレーリング式ドラムであるが、ブレーキコントロールを容易にする為マスターバックは標準装備されていない。ステアリング機構は2000GTと同一のリサーキュレーティングボール式であるが、ギア比を高めに変更されている。1970年10月から、S20型エンジンにブローバイガス還元装置が取り付けられた。同時にレギュラーガソリン仕様が設定されている。圧縮比を0.5下げたため、ハイオク仕様より5PS低い155PSとなっている。内装関係で特筆すべきは、ドライバーが運転する上で必要な装備が充実しているのに対し、不要なものはほとんどなにもない点である。ドライバーおよびナビゲーターシートはリクライニング機構を持たない合皮張りのバケット型であり、KPGC10型では後席の乗降時に前端下のヒンジを支点にして座席全体を前に投げ出すようにして通路を確保する。運転席側には三点式シートベルトとヘッドレスト、サンバイザーが標準で備わるが、助手席側のそれらはオプション装備である。また、ヒーター、ラジオ、時計はもとより、ドアポケット、助手席および後席の二点式シートベルトおよびアシスタントグリップすらオプション装備である。キーシリンダーの電装スイッチはアクセサリーのみオフから反時計回り側の本来ステアリングロックがあるべき位置へ隔離することで、オフから時計回り側へオン、スターターと並ばせ、競技使用時の利便が図られている。ステアリングロックはない。競技用のスポーツオプションが非常に充実しているのも特徴で、アルミ鍛造高圧縮ピストンや大径気化器、オイルクーラー、バッフルプレート付きアルミオイルパンなどのエンジン関連からサスペンション、ブレーキの強化部品、ワイド型ホイールなど一通り準備されており、中にはワイド型ルームミラーやレースレギュレーションで義務化されていた合わせガラスのウィンドシールドなど、一般走行時においても極めて有用な部品もある。4代目スカイライン(C110型)の2ドアハードトップ2000GTをベースに1973年1月から4月の3か月のみ「2000GT-R」として販売されていた。GT系と比較して、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラーを装備するほか、先代では標準でなかったラジオが標準装備とされている。エンジンは先代同様S20型エンジンが採用されている。ただし、使用されていたS20型エンジンが昭和48年排出ガス規制に適合しなくなったため、レースカーもコンセプトカーが発表されたのみで実際のレースへ参加することはなしに3ヵ月後の4月末をもってわずか197台だけで生産・販売が終了した。この少ない生産台数についてはS20型エンジンの在庫処理のためという説もある。レースで活躍した先代と違い、そしてKPGC110型以降、BNR32型が発売される16年後の1989年までGT-Rの名称は途絶えることとなる。総生産台数は197台、うち195台が市販された。エンジンは先代と変更されていないが、燃料タンクが100リットルから55リットルとほぼ半減している。足回りに関しては、リアにスタビライザーが装備され、マスターバック付き4輪ディスクブレーキが付与されている。車体は全長で130mm、全幅で30mm、ホイールベースで40mm拡大されており、GT系と違いオーバーフェンダーが付与されている。これらの装備を足されたことでトータル45kgの重量増となった。なお、後に現行型の日産・GT-Rまで踏襲されている丸型4灯のテールランプはこの代から採用されている。1989年5月22日、8代目スカイライン発表。GT-Rを含む4WD車は8月発売とアナウンスされた。1989年8月21日発売。型式はBNR32先代KPGC110の生産終了より実に16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動の集大成として開発されたR32型GT-Rは、ATTESA E-TS、Super HICASといった当時の最新デバイスに加え、エンジンに専用設計されたRB26DETTを搭載し、日産・フェアレディZ(Z32型)・インフィニティ・Q45(G50型)とともに、日本初の300PS車としてトリオで発売される予定であったが、当時の諸事情により実施された自動車馬力規制により、いずれも日本向けは280PSとされた。フェアレディZとインフィニティ・Q45は、海外輸出仕様は300PSであったが、GT-Rの輸出はなかった。このRB26DETTの排気量は、2.6Lという当時としては“中途半端な”排気量設定がされている。これは当時グループA規格で行われていた日本のツーリングカーレースの最高峰、「全日本ツーリングカー選手権(JTC)」のレギュレーションに対応させたことが理由。なお、GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後フェンダーの拡幅化、アルミ製フロントフェンダーおよびアルミボンネット採用、フロントグリルの追加、専用フロントバンパー、専用リアウィングが挙げられる。1990年にはグループA参戦マシンのホモロゲーション用モデルとして500台限定でGT-R NISMOが発売され、同年よりR31型スカイラインGTS-Rに替わり参戦した全日本ツーリングカー選手権においてデビューウィンを果たす。参戦初年度でありながら、年間を通してカルソニックスカイラインを代表とするGT-Rの強さを印象付け、世界中で最強を誇っていたフォード・シエラRS500を全日本選手権から駆逐し日本国内のみならず、日本国外の自動車レースも席巻した。その後、全日本ツーリングカー選手権がFIAのクラス2規格(排気量2,000ccまでの4ドアセダン車両をベースにしたJTCC)で行われることが決定したため1993年以降は全日本GT選手権に戦いの場を移すこととなる。ほかにグループAより改造範囲の狭いグループNに対応するため、主にブレーキ系の性能を向上させたVスペック・VスペックIIが発売されている。車体色のバリエーションはイメージカラーとなるガングレーメタリック(KH2)の他にクリスタルホワイト、ジェットシルバーメタリック、レッドパールメタリック、グレイッシュブルーパープル、ダークブルーパープルなど、前期モデル、中期モデル、後期モデルで計8色販売された。なお当初はダークグリーンM(DH0)での販売も予定されており発売前の販促カタログにも掲載されていたが、色と共に試作車も作られたにもかかわらず、結局このカラーでのGT-Rは販売されなかった。なおこの車体色は中期以降のGTSグレードにて採用されている。BNR32型最大のトピックは、上述の通り当時の最新装備が多数採用されたことである。特筆すべきは、PGC10型からKPGC110型まで自然吸気エンジンかつ後輪駆動であったGT-Rが、このBNR32型ではツインターボエンジンRB26DETTが専用に開発・搭載され、足回りも「ATTESA E-TS」・「Super HICAS」を搭載し、FRから4WDとなったことである。その中でもRB26DETTエンジンは、S20型同様モータースポーツ参戦を前提に開発されていたものであったため、市販車の平均的な水準をはるかに上回るエンジン強度を誇り、出力も280PS/36kgf·mを達成するなど非常に強力なエンジンとなっている。足回りのATTESA E-TSも、基本的には後輪を駆動させ、前後4輪の車輪速度センサにより、トルクを前輪に0:100 - 50:50の範囲で配分する。そのためコーナリングでは、後輪駆動車のような走りが可能となっている。しかし欠点として、RB26エンジンはエンジンブロックが丈夫さと引き換えの鋳鉄製であり、これにより車重が増加した。そしてフロントヘビーな配分と、高度なアテーサE-TSなどのデバイスが災いし、標準装備のブレーキではハードな走行に耐え切れず、レース参戦初期には強いアンダーステアに悩まされ、ブレーキフェードによるリタイアもあった。その後の対策として、Vスペックではより大型のブレンボ製ブレーキキャリパーが採用されている。1995年1月6日発売。型式はBCNR33。1993年8月にR33型スカイラインが発表された直後の第30回東京モーターショーでプロトタイプが発表された(市販モデルでは主にフロント周りが改修される)後、標準車の販売開始から遅れて1年5か月後に発表された。このR33型GT-Rは、通常はモーターショーなどで新車発表するところを、改造車の祭典である第13回東京オートサロンで発表するという形式がとられた。これは当時の市販車としては初めてのことである。この型式より、以前にも増して本格的にニュルブルクリングでのテストドライブが重視された。このことよりBCNR33のプロトタイプモデルが7分59秒のタイムを記録したことで、BNR32型に対してのタイム差から「マイナス21秒のロマン」と銘打ったキャッチコピーを掲げ、GT-Rとしては初の単体でのテレビCMを展開している。またBNR32型と違い、発売時よりVスペックおよびVスペックN1が設定されている。また、1997年には、日産関連企業のオーテックジャパンより、特別仕様ながらPGC10型以来の4ドアセダンGT-Rとなる「スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40th ANNIVERSARY」が発売された。モータースポーツでは、BNR32に引き続いて全日本GT選手権に参戦しているほか、ル・マン24時間レースにも参戦していた。先代BNR32に引き続きRB26DETTを搭載しているが、従来8ビットであったECUを16ビット化、過給圧を0.75kg/cm²から約0.84kg/cm²へ上昇させたことにより、出力は280PS/37.5kgf·mとなる。また、BNR32ではVスペック系統のみ設定されていたブレンボ製ブレーキキャリバーを全車標準装備とし、Vスペック系統にはアクティブLSDを採用。このアクティブLSDとシンクロして動作するアテーサE-TS PROが搭載されている。車体の特徴として、R32型から全長が130mm、ホイールベースで105mm拡大され、全体的にワイドボディ化された。加えてボディも補強され、剛性が高まっている。また新たに角度調整機構付リアスポイラーを採用した。内装の基本的なレイアウトは、センターコンソールの3連メーターなどはBNR32型と同様であるものの、タコメーターにGT-Rのロゴが付いたこと、ハイビームサインが下部から上部へ移設されたことが特徴である。なお前期型のステアリングは、K11型マーチなど日産のエアバッグ装着車共通のステアリングセンターパッド(握りの部分は専用)が採用されていたが、不評を買ったため、中期型よりスポーティな形状のセンターパッドに変更されている。その他、BCNR33型になり、バッテリーがトランクルーム奥に設置されるようになった。前期では青基調の内装だったが、後期型では内装内張り・シートが赤色基調に変更されている。この頃のGT-RやJZA80スープラRZなどのスポーツモデルは、出力こそ自主規制値の上限である280PSとなっているが、実際にはマフラーなどで出力を絞ったり、パワーリミッターをかけたりしてその馬力にしている。そのため、マフラーなどの吸排気系を社外品に換えたり、パワーリミッターを解除すれば、実測値で400PS以上発生してしまうことから、自主規制はあってないようなものとなっている。1999年1月8日発売開始。第2世代最後にしてスカイラインGT-Rとして最後の型である。キャッチコピーは「人に翼を」。先代同様、第17回東京オートサロンで新車発表。この際、ニスモからはコンプリートカーの状態で展示が行われていただけでなく、幾つかチューニングメーカー、ショップにも事前に納車され、若干のチューニングが施された車も展示された。生産は2001年まで日産自動車村山工場、それ以降は日産自動車栃木工場で行われていた。このBNR34型では、先代BCNR33型で不評のボディをホイールベースで55mm、全長で75mmサイズダウンさせ、量産車初のアドバンスドエアロシステムを採用、全体を直線基調のデザインとし、ヘッドランプも吊り目タイプのものに変更され、丸型4灯テールランプはそれまでの均一サイズから、内側のテールランプを小さくし、中心に方向指示器、制動時は外側のテールランプのみ赤く点灯するスタイルとなった。また、ナンバープレートスペース横に後退灯、リアフォグランプ(赤色)が装備されている。安全面ではサイドエアバッグをオプション設定し、セキュリティ対策としてイモビライザーも採用された。なおBCNR33型に引き続きイギリスへの正規輸出が行われている。なお、BNR34型では従来の走行面を重視したVスペック系の他、2001年には乗り心地と上質感を重視したMスペックが設定されている。しかしKPGC110型同様、排出ガス規制の影響により平成12年排出ガス規制により2002年に生産終了。生産終了直前の2月には最終記念車「VスペックII Nür(ニュル)」および「Mスペック Nür」が各車500台、合計1,000台販売され、予約日に即日完売となった。2007年発売となった後継車の日産・GT-Rが「スカイライン」の名称を付けなかったため、スカイラインGT-Rとしては2016年現在、このBNR34型が最後となっている。モータースポーツでもR33に引き続いて全日本GT選手権に参戦していたほか、ニュルブルクリンク24時間レースやスーパー耐久に「ファルケンGT-R」が参戦していた。第二世代最後のGT-Rとあり、この代でも先進的な技術が採用されている。Vスペックの前方下部に樹脂製、後方下部に量産車初のオートクレーブを用いて焼成されたカーボンディフューザーや、可変2段リアウイングスポイラーのアドバンスドエアロシステムを採用。このディフューザーは車体下部前後を覆っており、走行風を取り込んで圧縮・整流させボディ下面を通り、リヤで拡散させることでダウンフォースを発生させる仕組みとなっている(標準車と比べバンパー下部が大きい)。さらにフロントバンパーの幅をタイヤハウジングより大きくしているが、これは空気をタイヤハウジングへ溜めさせ、負圧でブレーキを冷却させるためである。タイヤ、ホイールは18インチ化され(サイズは245/40ZR18、18×9JのBBS鍛造アルミホイール)、ブレーキは先代同様引き続きブレンボ製を標準装備しているが、本体色の変更(黒から金)の他に取り付けボルトを太いもの(12mmから14mm)に変更し支持剛性を向上させている。トランスミッションはドイツゲトラグ社と共同開発した6速ミッションが採用された。また、このミッションはバックギアにもシンクロ機構が搭載されている。サスペンションもテンションロッドが一体型のアルミ鍛造のものに変更され、耐久性向上と軽量化を行っている。LSDは、R33型同様Vスペック系統にアクティブLSDを採用し、アクティブLSD準拠のアテーサE-TS PROを搭載している。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型を搭載。カタログスペックの最大出力280PSはそのままだが、ギャレット社製C100-GT25型ツインボールベアリングのセラミックタービンを採用したことで、最大トルク40.0kgf·mを達成し、低回転域トルクの増加で通常使用時における快適性が向上している。またエンジンのヘッドカバーは赤く塗装され「SKYLINE GT-R NISSAN」の文字が印刷されたプレートものが使われていた(BNR32、BCNR33までは黒で「NISSAN TWINCAM 24VALVE」)。またNürにおいては金色のカバーが採用されている。車内においては、従来の3連メーターに代わり、コンソール中央にマルチファクションディスプレイ(MFD)と呼ばれる車両の状態を確認する5.8インチのモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来るようになった(Vスペックとノーマルでは多少表示項目が異なる。また、このMFDはVICS、コンパスリンクを搭載したナビが使用できた)。レブランプも搭載され設定値になると赤く光るようになっている。スピードメーターは当時の日産車では例外的に左にタコメーター、右にスピードメーターの配置となっており、Vスペック系統ではタコメーターの3,000rpm以下が圧縮されている2段表示タコメーター仕様となっている。2000年10月30日のマイナーチェンジでは、リアのブレーキローターが大型化(300mmから322mmへ)されたほか(N1仕様と同様)、各種フットペダルがRの文字が入った樹脂製からアルミ製のものに変更され、シフトノブもGT-Rロゴが入ったアルミ製ものに変更されている(細かい所では、ターンシグナルランプがオレンジからクリアランプになった点、センターコンソールのイリジウム調化など)。同時にVスペックはVスペックIIとなり、量産車初となるカーボンボンネット(カーボン地ではなく塗装済)を採用。NACA(現在のNASA)が開発したV字型エアダクトが付き、軽量化を図ると共にタービン付近の温度を軽減させる効果が図られている。スカイラインは、初代の時代からモータースポーツに参戦しているが、先述の通りGT-Rは特にモータースポーツ活動に主眼を置いており、初代前期PGC10型/後期KPGC10型GT-Rは、日本国内のレースで後に100勝を達成したマツダのロータリー勢としのぎを削りながら、クラス優勝を含む50勝を越す勝ち星を獲得している。その後、R30型スカイライン2000RSやR31型スカイラインGTS-Rの後任としてグループAの頂点を目指すべくGT-R(BNR32型)が復活。BNR32型はデビューからレース活動終了時まで勝ち続け、グループA29連勝の記録を作った。全日本GT選手権では、1993年の開幕から2003年シーズンまで、R32からR34までの3世代のモデルが参戦し、すべてタイトルを獲得している。2代目KPGC110型GT-Rは、すでにS20型エンジンが競技力を失い始めているのに加え、大きく重くなったベースシャーシーではマツダ・ロータリー勢に対抗するのは不可能と考えられたため、モータースポーツ活動は行っていない。ただし、C110型としては4気筒セダンの1800GLにラリー用スポーツオプションが用意され、メーカーがプライベティアをサポートしていた。1969年5月 「'69JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスでGT-R(PGC10型)がデビュー。1位でゴールしたトヨタ・1600GT(RT55型)が、日産側の抗議によって3日後に走路妨害と判定され、1周減算された結果、GT-Rが優勝となる。1969年10月 「'69日本グランプリレース大会」ツーリングカーレースにてGT-Rが1-3位を独占。1970年5月 「'70JAFグランプリレース大会」特殊ツーリングカーレースにてGT-Rが1位、2位、4位を獲得する。1970年6月 、「全日本富士300マイル」100マイルBレースにて、長谷見昌弘のドライブするGT-Rが優勝。長谷見はスペアカーで決勝に臨み、最後尾スタートであった。1971年5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。1972年3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、高橋国光が全車を周回遅れにして1位、通算50勝を達成する。1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにて北野元が駆ったGT-Rが1位、久保田洋史が3位、正谷栄邦が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。そして最終的に通算57勝の成績を残した。C10型の強さを語る上の代名詞として「49連勝」というフレーズが昨今において雑誌、広告、DVDなどのメディアにおいて広く使用され認知されている。ただし、この連勝数については諸説があり、例えばプリンスの丘公園におけるC10型の功績を称える碑には50連勝と書かれていることに対して、モータースポーツ誌のRacingOn' の444号では、うち18がクラス優勝、また1971年7月25日に行われた富士1000kmレースにおいて総合6位(クラス2位)となっているため、連勝記録は46で止まっていると指摘している。なお、日産のモータースポーツ部門であるNISMOはHPにおいて「49勝し更に50勝目も挙げた」という表記を取っている。1990年全日本ツーリングカー選手権(JTC)第1戦西日本サーキットにてGT-R(グループA仕様)はレースデビュー。レースでは、星野/鈴木組のカルソニックスカイラインがポール・トゥ・ウィンを飾るだけでなく、予選ではコースレコードを2秒近く短縮、決勝ではレースの4分の1を消化した時点ですでに全てのマシンを周回遅れとするなど、(2位でゴールした僚友・リーボック スカイラインGT-R以外の3番手以降は2周以上の周回遅れ)圧倒的な力の差を見せつけた。その後もシリーズ全戦でポールポジション獲得・優勝。翌年度からは徐々に参戦車数が増え、最終シーズン1993年には7台のGT-Rが参戦、グループAは事実上のワンメイク状態とまで化した。結局、1990年の初戦からJTCというカテゴリーが終了する1993年まで無敗を誇り、最終的に29連勝という偉業を成し遂げる。なおJTCと並行してN1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)にもGT-Rで参戦した。また日本国内だけでなく、国外のレースにも積極的に参戦している。1990年11月にはグループAマシンによるマカオグランプリ・ギアレースをカストロールスカイラインが制覇したことに続き、ベルギーで開催される世界3大耐久レースの一つ、スパ・フランコルシャン24時間レースには1990年 - 1992年に出場。1990年はグループNクラスの表彰台を独占した。そして1991年には前年に続きグループNクラス優勝だけでなく、Gr.Aクラスで日産ワークスから送り込まれたZEXELスカイラインが2位以下を20周以上も引き離して総合優勝を果たしている。1992年にも引き続きZEXELスカイラインが参戦し、前年不参加だったBMW勢を相手に奮戦し、当初はトップを走るものの、エンジン不調からやがて失速。さらにピットイン時にガソリンが引火するアクシデントに遭いリタイヤとなった。その他の海外レースにおいては1990年、マカオギヤレースに参戦。圧倒的な速さで予選トップを獲得、決勝でもその力を見せつけ、1度もトップを譲らずに優勝した。ほかにも1992年にオーストラリアツーリングカーレースでチャンピオンシップタイトル獲得など、日本国内だけでなく日本国外でも数多くの成果を挙げている。またワークスだけでなく、プライベートチームもヨーロッパや北米のレースに数多く参戦していた。なお、余談としてサーキット以外にも1990年に一度だけ世界ラリー選手権 (WRC) にも参戦したことがある。ただし畑違いのこの分野では結果を挙げることはできなかった。Gr.A終了後はJTCCと同時に始まった全日本GT選手権に転用される車両もあった。※ル・マン24時間レースに投入したGT-Rは、車両レギュレーションの関係上、「同一車種に4ドア車が存在する車種はエントリーから除外する」という規定をクリアするために、「日産NISMO GT-R LM」という独立した車種を製作し、イギリスでナンバーを取得し車両公認を得た上で規定に合致させるという手法を取っている。「公認を得た“ロードカー”を最低1台製作すること。ただし販売の義務はない」という、中小規模のメーカーに対して門戸を開放するために設けられた規定条項を利用した。このため、BCNR33型でありながら「スカイラインを名乗らないGT-R」となっている。競技車両同様、前後トレッドを拡大したほか、BCNR33型GT-Rに採用されている4WDを廃してFR二輪駆動に改められるなどの改良が施されている。当時4WDは禁止されていなかったにもかかわらず敢えてFRに改造された。現在は日産自動車が保管しており、イベントなどでその姿を見ることができる。1999年:JGTCに参戦。GT500クラスに1月に発売されたBNR34型が3台、前年度モデルであるBCNR33型が2台。「ペンズオイル・ニスモGTR」(エリック・コマス)が2年連続のシリーズチャンピオンを獲得したが、チームタイトルはTOYOTA Castrol TEAM TOM'Sのスープラだった。2000年2001年2002年2003年

出典:wikipedia

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