四代目 市川 猿之助(よだいめ いちかわ えんのすけ、1975年(昭和50年)11月26日 - )は、東京都出身の俳優、歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。歌舞伎名跡「市川猿之助」の当代。本名は喜熨斗 孝彦(きのし たかひこ)。2012年6月、二代目市川亀治郎改め、四代目市川猿之助を襲名。歌舞伎における立役、女方、舞踊に至るまで、優れた理解力と表現力に富む。亀治郎時代は女方を多く勤め、花形役者の一人として将来を嘱望されてきた。2007年にNHK大河ドラマ『風林火山』で武田晴信を演じて以降、歌舞伎に限定せず、テレビドラマ、映画、現代劇などに出演。四代目猿之助を襲名以降は「猿之助四十八撰」を中心に家の芸の継承につとめるほか、伯父が創出したスーパー歌舞伎のセカンドラインを新たに展開。2作目『ワンピース』で大成功を収める。その攻守あふれる活動に期待が寄せられている。2008年9月の出演以降、新開場をめぐる特別公演を含む6年3か月間、歌舞伎座の舞台には立たなかった。進取な気風とともに反骨精神もその魅力のひとつ。慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業。京都芸術劇場「春秋座」芸術監督。ケイファクトリー所属。「猿之助」の名跡は伯父にあたる当代猿翁から受け継ぐ。幼少の頃から伯父に憧れ、『義経千本桜』の通称「四ノ切」で源九郎狐となって宙乗りをする先代を見て「ボクもああなるの」と話したという。自身の初演は2010年8月18日、国立劇場。襲名する年まで主宰した自主公演「亀治郎の会」の舞台だった。これを観た先代が「猿之助」の名跡を当代に譲る決意をしたともされ、以後、本公演で繰り返し上演、当たり役とする。2013年3月19日に名古屋・御園座御名残公演夜の部で上演100回、また同年、12月7日、京都四條・南座當る午歳 吉例顔見世興行昼の部で上演200回を達成。2016年には5代目歌舞伎座における最初の宙乗りを「六月大歌舞伎」第三部「四ノ切」で披露し、同月15日に「四ノ切」上演300回を達成。「四ノ切」に寄せる想いは強く、生涯千回は演じたいと話す。趣味は骨董品の蒐集と寺院仏閣巡り。骨董品は陶磁器を中心に北大路魯山人・川喜田半泥子の作品や縄文時代・桃山時代のものなどを収集。「亀治郎大博覧会」で十数点が展示されたほか、月刊「なごみ」に2011年12月号から2013年12月号まで毎月「亀遊笑覧」と題してそのコレクションの一部が披露。2016年にこの連載をまとめた『猿ノ眼』を上梓している。以前は浮世絵を蒐集。ゴッホが模写したとされる歌川広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』のほか、役者絵の浮世絵ばかりを3000枚ほど所有。きっかけは海外で高祖父・初代猿之助の浮世絵を見つけたことだった。海外に流出する浮世絵を買い戻さなければという使命感にかられ、以後さまざまな機会を通じて入手し続けたという。幼少の頃の趣味は仏像集め。段ボール2箱分の仏像を披露し、父・段四郎の弟子を驚かせた逸話もある。蔵書家。舞台で虚構の世界を演じるため、実生活で読む本はほとんどがノンフィクション。宗教、哲学、歴史を中心とした蔵書が多いらしい。本の扱いにはこだわりがあり、美しさを保持するために本を押しひろげて読むことはないという。また、気に入った本は2冊購入し、1冊は本棚に飾るらしい。スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』などの作者でもある哲学者、梅原猛を学生時代から崇拝。大学卒業後に書生を志願したが、歌舞伎の世界で自分を表現しなさい、と門前払いを受けた。2006年、梅原との共著を出版している。2010年1~6月には日本経済新聞プロムナード欄にエッセイを連載するほか、産経新聞書評倶楽部欄にたびたび書評を寄せるなどの文筆活動も行なう。役者の傍ら、本業以外の書物を出すのが夢らしい。2006年、三谷幸喜演出による『決闘!高田馬場』で外部の演出家による舞台に初出演。続く2007年には蜷川幸雄が手がけた歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』に出演、脇役ながら周囲を圧倒する存在感を示した。蜷川とは2013年にオールメールによる『ヴェニスの商人』で主演。シェイクスピア劇に歌舞伎の型を取り入れ、過剰とも思える演技でキリスト教の異端であるユダヤ人の高利貸しシャイロックを怪演、斬新なシャイロック像を造形してみせた。2016年1月には再び蜷川とタグを組み『元禄港歌』に主演。蜷川逝去の報が届いたのはこの千穐楽から3か月後だった。「劇界の異端児として一緒に闘いを挑み続けよう」と固く握手を交わしたエピソードを追悼の場で寄せている。2016年末には10年ぶりに三谷幸喜の舞台に出演予定。読解力、着想力、演技力から歌舞伎以外の舞台からも目が離せない。テレビ出演は多数。ドラマ出演のほか、『京都1200年の旅』のナビゲーターを務めるなど、バラエティやクイズ番組にたびたび出演。いつか志村けんの番組に出演したいと明かす。笑いを取るのが最も難しい表現とは伯父譲りの持論。歌舞伎の拵えで出演した2015年新春を飾るスズキ自動車のCM「初売り座」で、2位を圧倒し正月三が日のCM出演タレント1位を獲得。忘年会シーズンが近づくと流れるソルマックのCMキャラクターも定着してきた。芸能界の交友も広い。高校生の頃からラジオ番組ニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポン』を愛聴する福山雅治のファンであったことは有名。2010年、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で龍馬に扮する福山を斬る今井信郎役を勤め、念願だった共演を果たしたほか、襲名披露公演ではポスター撮影及び祝幕の作成を福山に依頼。曽祖父・初代市川猿翁と祖父・三代目市川段四郎の隈取に四代目猿之助の隈取を融合させた斬新な祝幕は、襲名公演の各会場に掲げられるたび客席から拍手が起こり、話題を呼んだ。同じ事務所の先輩にあたる俳優・佐々木蔵之介は、社会人としての常識が備わった人物として尊敬。親交は篤い。佐々木が主宰する「Team申」公演にたびたび出演するほか、自らが制作したスーパー歌舞伎IIの第1作に出演してもらった。四代目襲名と同時に、九代目中車を襲名した俳優・香川照之(市川中車)とは従兄でありながら互いに面識がなかったが、2006年の祖母の命日に墓参りをした際、偶然に出会ったことをきっかけに親交が始まる。初めての映像の仕事になった2007年の大河ドラマ出演時には先輩として世話になった。2010年の大河ドラマ『龍馬伝』の最終回で初共演。襲名の年には2人の同窓である暁星高校のそれぞれの同級生らによる合同パーティを開催。大学時代の同級に当たる武者小路千家15世家元・千宗屋氏とは趣味の古美術・茶道具の蒐集を通し、その親交が続いている。2012年「六月大歌舞伎」の襲名口上で、四代目坂田藤十郎、二代目片岡秀太郎を始めとする幹部俳優が列座する中、「歌舞伎のために命を棄てる覚悟」と挨拶。フリードリヒ・ニーチェの運命愛を持ち出し、猿之助を襲名する喜びを100%と表現した。二代目市川猿翁、九代目市川中車、五代目市川團子の同時襲名。2014年3~4月、「スーパー歌舞伎II(セカンド)」と銘打って新作『空ヲ刻ム者』(前川知大作・演出、仏師・十和役で主演)を2か月にわたって東京と大阪でそれぞれ上演。2015年10~11月には新橋演舞場で「スーパー歌舞伎II」の第2作として、世界的ロングセラーの超人気コミック『ワンピース』(尾田栄一郎原作)を横内謙介脚本で制作。自身はルフィ、ハンコック、シャンクスの3役を演じる他、若手歌舞伎俳優の抜擢、ゆずの北川悠仁作詞・作曲の主題歌の大胆な起用、そして、最先端の技術と歌舞伎・スーパー歌舞伎の型を惜しみなく融合させ、演出家として冴えた手腕を発揮。連日、多くの歌舞伎、ワンピース双方のファンが劇場に足を運び、賑わいを見せた。翌年の大阪、福岡公演では大幅に脚本、演出に手を加え、さらに見所を増大。2017年秋には東京での凱旋公演が決定。2015年1月、「壽初春大歌舞伎」夜の部に初代猿翁が創作した『黒塚』で7年ぶりに歌舞伎座に出演。猿之助の名前が歌舞伎座にかかるのは実に12年ぶりだった。心情に溢れ、緩急ある技巧に長けた舞踊を披露し、観客を魅了。連日立ち見の出る盛況ぶりだった。3月にはユニクロと松竹による新製品発表のパリにあるユニクロ・マレ店でのレセプションで、口上と舞踊『お祭り』を披露。
出典:wikipedia
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