ミシャグジは日本の神。柳田國男はこれを塞の神(サイノカミ)とし、もとは大和民族に対する先住民の信仰であるとする。伝承は多岐に及び、石神(シャクジ、サクジ)という他にミシャグチ、オシャモジ、シャクチ、サクチ、サグチ、サクジン、オサクジン、オシャグチ、オミシャグチ、サゴジンなど、多様な音転呼称がある。ミシャクジ、ミシャグヂ、ミシャグジン、シャゴジ、オシャゴジ(御石神)、オシャグジ、サグジとも。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。柳田國男はミシャグジ=塞の神(サイノカミ)=境界の神であり、すなわち、大和民族と先住民がそれぞれの居住地に立てた一種の標識であるとは考察している。信仰の分布からミシャグジ信仰の淵源は、諏訪信仰に関わるとする見方もある。神徳は百日咳治癒、口中病治癒、安産、子育てなど様々だが、社祠・神座や伝承は年々消滅し続けている。『駿河新風土記』には、村の量地の後に間竿を埋めた上でこの神を祀る一説がある他、『和漢三才図会』は「志也具之宮(しやぐのみや)」を道祖神(サイノカミの一種)としている。ミシャグジの実態は解明されたとは言い難い。石神(シャクジ)と石神(いしがみ)を同一視する辞書は複数あるが、『日本民俗大辞典〈上〉あ〜そ』は「石神(いしがみ)とは異なる」としている。シャグジは社貢寺とされるが、その名の社寺は現存せず、土俗名ともされる。北左農山人の『江南駅話』には「あの宮が釈地大明神といふ。それをあがめておの字を附け、言ひちがへておしゃこじといふわなぁ」とある。諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある。諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある。考古学的成果としては、守矢家が守ってきた「七本の峰のたたえ」はミシャグジが降りる木とされ、この内の一本(守矢家屋敷の近くの尾根先端にある一本)が発掘調査されており、尾根は「狐塚」と呼ばれ、当初は古墳という説があったが、発見されたのは縄文時代の墓としての土坑であり、認定された。この神を祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。地域によっては時代を経るにつれて狩猟の神、そして蛇の姿をしている神という性質を持つようになったと言われている。その信仰形態や神性は多様で、地域によって差異があり、その土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事や、マタギをはじめとする山人達から信仰されていたことからこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている。
出典:wikipedia
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