久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)は、神奈川県川崎市高津区久地一丁目にあり、二ヶ領用水の水を下流の各地域へ正確に分けるために造られた分水樋である。二ヶ領用水久地円筒分水(にかりょうようすいくじえんとうぶんすい)とも称する。上河原・宿河原の堰で多摩川から取水した二ヶ領用水は、久地(現在の久地駅付近)で一旦合流し、ここで(西から順に)根方堀、川崎堀、六ヶ村堀、久地・二子堀の 4方向へ分岐するが、その各用水路の灌漑面積に応じた一定の比率(7.415 : 38.471 : 2.702 : 1.675)で水を正確に分け流すための施設である。1941年(昭和16年)の建造当時としては画期的な技術が投入されて造られたことから、現在は国の登録有形文化財として、本流の二ヶ領用水とともに川崎市建設局により管理・保存されている。下流の二ヶ領用水沿いも今ではすっかり住宅地と化し、ここ円筒分水もカルガモやムクドリ、オナガなどの野鳥が集まり、春には桜が彩りを添え、二ヶ領用水へ散策に訪れた人々や近隣住民、野鳥達が集うのどかな憩いの場となっているが、当時このような高度な技術を投入してまでも精巧な分水樋が造られたことは、多摩川の扇状地であるこの辺り一帯がかつては肥沃な田園地帯であったとともに、水にまつわる争いが絶えなかったことを今に伝えている。円筒分水が築かれる前は、ここから分岐する 4方向へ、その二ヶ領用水の水を流域耕地面積に応じて分けるための「久地分量樋」(くじぶんりょうひ)が江戸時代中期に築かれ、その分量樋を洪水から護るための水量調整施設「久地大圦樋」(くじおおいりひ)とともに、改修されながら使われていた。しかしその後も水量をめぐる争いが絶えず、より正確な分水を求めて現在の円筒分水が築かれ、また同時期に余剰の水を新平瀬川に流す施設も造られたことから、左記の各施設はその役目を終えた。なお、かつての分量樋の遺構は残っていないが、円筒分水より少し上流の二ヶ領用水沿いに「二ヶ領用水久地分量樋跡」の碑が建てられている。
出典:wikipedia
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