銀次(ぎんじ、本名:赤見内 銀次〈あかみない ぎんじ〉、1988年2月24日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。小学校2年生まで岩手県久慈市に住んでいたが、祖父の住む同県普代村に引っ越すとその祖父の影響で野球を始めた。普代小3年時に「普代村野球スポーツ少年団」に入団する。5年生時に捕手となり、6年生時に東北大会で準優勝。5・6年生時は祖父が同チームの監督を務めた。普代中学3年生時にKボール全国大会へ岩手選抜の一員として出場。盛岡中央高校では1年生時から左翼手としてレギュラー出場。その後三塁手を経て、2年夏から捕手に転向する。2年の秋季東北大会において8打席連続安打、12打席連続出塁を記録、チームはベスト8まで進出した。3年夏の岩手県大会では、打率.750(24打数18安打)を記録。県決勝戦では4打数4安打を記録するも敗退し、甲子園出場はならなかった。高校通算24本塁打。2005年の高校生ドラフト会議で、地元球団である東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目指名を受け、入団。背番号は「67」。アマチュア時代からプロ入りまでは捕手だったが、打撃を活かすために2009年の秋季キャンプから内野手にコンバートされた。内角球をわざと詰まらせてレフト前に落とす打撃技術をもち、2012年には左投手相手に右投手相手を上回る打率.282を記録するなど、左打者ながら左投手を苦にしない。空振りが少なく、早打ちの傾向があり、三振・四球ともに少ない。2014年には両リーグトップの2ストライク打率.298を記録するなど追い込まれても苦にしない。一方、守備・走塁面では凡ミスを犯すなど課題も残す。特に守備は元捕手ということもあり、2012年に二塁手のレギュラーを獲得した頃には、試合終盤で守備固めを送られるケースも多かった。2013年からは主に一塁手・三塁手としてプレーしている。2013年は一塁手、2014年は三塁手としてUZRでプラスを記録した。走塁面では飛球の判断が悪く、2012年には飛び出して併殺を取られるケースがしばしば見られた。野球を始めたきっかけは、野球好きの祖父の影響。野球を始めた当時は右打ちであったが、左打ちに変更したのも祖父の指導による。指名当時の本名は宇部 銀次(うべ ぎんじ)であったが、母親の再婚により名字が赤見内(あかみない)に変更になった。2013年に産まれた長男の名前は虎次郎(とらじろう)。銀次の応援タオルや選手デーの応援ボードはこの名前にちなんだ虎柄となっている。チームメイトの枡田慎太郎とは同期入団・同い年ということで親交が深く、二人でカラオケに通う、家に遊びに行く等プライベートでも付き合いが多い。2012年の春季キャンプは阿部俊人と3人で「どろんこ3兄弟」と呼ばれた。非常に負けん気が強く、楽天監督を務めた星野仙一にも評価されている。打撃力を買われ、守備のまずさを我慢して起用され結果を残したことから「星野チルドレン」とも呼ばれた。2013年には、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の主なロケ地が岩手県久慈市である縁から、7月末に楽天球団を通じて「まだまだあまちゃんですが…」(職歴が浅いながらも仕事を極めるべく奮闘している人を一般から公募した上で、職業・氏名とともに毎回1名ずつ写真で紹介するエンディングのミニコーナー)へ応募。9月16日(敬老の日)放送の同コーナーにおいて、楽天のホームゲームで左打席から打球を放った瞬間の写真が「プロ野球選手 宮城県仙台市 銀次さん」のキャプションで紹介された。東日本大震災の被災者支援を目的とした、2013年12月に行われた日本プロサッカー選手会主催のチャリティーサッカー大会では試合前のキックインを努めた他、試合にも小笠原満男のユニホームを着て飛び入り参加し、PKを決めるなど活躍した。2014年も同大会に参加したが、この時はハットトリックを達成している。
出典:wikipedia
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