西 紀寛(にし のりひろ、1980年5月9日 - )は、大阪府高槻市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。元日本代表。元Honda FCのミッドフィルダー西望実は実弟である。本人によればサッカーを始めたのは保育園時代。中学校までは地元でプレーしていたが、高校は地元を離れて船橋市立船橋高等学校に入学し、サッカー部で活躍。サッカー部の同期に松田正俊がいる。他にも岩佐潤(バスケットボール部)・高橋美佳子(吹奏楽部)・佐藤章晶(硬式野球部)がいる。高校3年次の1998年にはインターハイを制するが、同年の全国高等学校サッカー選手権大会は千葉県予選で玉田圭司を擁した習志野高校に敗れ、出場はならなかった。当時は横浜フリューゲルスの強化指定選手でサテライトの試合にも出場。入団も内定していたが、同クラブが消滅したため、オファーのあったジュビロ磐田に入団することとなる。元々はフォワードや1.5列目の選手である。磐田では、名波浩の移籍や中山雅史らの負傷者のために戦力不足に陥った1999年第2ステージから本格的に起用されはじめ、翌2000年に就任したハジェヴスキー監督から、その攻撃力とドリブルを評価されて右サイドに抜擢された。トルシエ監督が率いるU-23代表ではアジア予選や親善試合でもほとんど出番がなかったが、シドニー五輪本大会では登録人数が少ない影響で、FWと右サイドの両方の控えとなり得る事からメンバー入りする。しかしフィールドプレイヤーの中では唯一出番はなかった。[2002年]]には戦術的理由から一時レギュラーを外され、移籍志願をしたこともあったが翻意した。2004年以降は負傷に見舞われて出場機会も少なく、2005年以降は右サイドの太田吉彰の台頭で、元来のポジションであるフォワードやトップ下として起用されることも増えた。2009年、2010年は欠場が少なく、チームに欠かせない選手となっていた。しかし、過去の怪我の影響などで膝の状態が常に良いわけではなく、途中交代が多くなり90分間フルで出場することは少なくなった。それでも2010年のナビスコカップ決勝では、足がつりながらも延長戦を含め120分間攻守にわたって活躍し、優勝に貢献した。2011年、オフシーズン中の試合形式の練習中にアキレス腱を断裂してしまい、全治6カ月と久々の長期離脱となった。8月24日、大宮アルディージャ戦で途中出場で復帰。次の清水戦ではスタメン復帰もして、勝利に貢献した。10月15日、鹿島アントラーズ戦で、250試合出場を達成した。2012年、13年間在籍した磐田を離れ、東京ヴェルディへ完全移籍した。2013年はチームの副キャプテンに就任した。同年シーズン終了後、契約満了により退団。2014年、タイ・プレミアリーグのポリス・ユナイテッドFCへ移籍。255||36||47||3||30||8||332||4773||11||colspan=2|-||3||0||76||11328||47||47||3||33||8||408||58その他の公式戦|2004||rowspan="2"|磐田||rowspan="2"|11||4||1!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦|-!通算
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