十腰内(とこしない)とは青森県弘前市の大字。郵便番号は036-1201。青森県道30号岩木山環状線・青森県道31号弘前鯵ケ沢線が通り、青森県道132号十腰内陸奥森田停車場線の始点でもある。北はつがる市(旧西津軽郡森田村地域)森田町床舞・北津軽郡鶴田町妙堂崎、北東は北津軽郡鶴田町廻堰、東は十面沢、南から西にかけて西津軽郡鰺ヶ沢町長平町、北西は西津軽郡鰺ヶ沢町建石町に接する。また、かつては「遠寺円」とも表記された。アイヌ語由来の地名の1つであるとされる。小字として猿沢・野中がある。この一見奇妙な地名に、昔の人はさまざまな由来を考えた。その中で鬼の伝説がある。ある村に、有名な鍛冶屋がおり、日本刀を打つ腕で評判であった。しかし、鍛冶屋には娘が一人居るだけで、自分の技術を伝える跡継ぎが無いのが悩みの種であった。鍛冶屋の娘は、弘前まで聞こえるほど器量よしで評判だったが、鍛冶屋は、一晩に10本の日本刀を打ち上げる技量を持った男でなければ、娘を嫁には出さないと決めていて、押し寄せる男どもは、挑戦するものもあったが一人として成功するものが無く、いつしか娘を嫁にもらい受けたいという話も途絶えた。そんなある日、見たことのない、ひょろりとした若い男が、娘の評判を聞いて嫁に欲しいと申し出てきた。男は、必ずや10本の日本刀を一晩で打ち上げると言い張るのだ。鍛冶屋は、そのひょろりとした体格に眉をひそめ、疑ったが、とりあえず、刀を打たせてみることにした。だが、男は1つだけ鍛冶屋に忠告した。けっして夜の間、鍛冶場をのぞいてはならないというのだ。誰かにのぞかれると仕事に集中できないのだという。鍛冶屋は自らも刀を打つときには非常に集中しじゃまされるのは好まないので、この男の申し出はもっともだと思い感心し、絶対にのぞかないことを約束した。さて、男が、鍛冶場に入るやいなや、トンカントンカンと地金を打つ音、ゴーゴーという鞴の音が鳴り出した。娘は、身も知らないこの男と添い遂げるのは嫌だったので、気づかれないように小屋の影から、男の姿をのぞいてみたのだった。すると、なんと恐ろしいことにこの男は鬼であった。鬼は体を真っ赤にして口から炎を吹き出し、刀の地金を打ち付けるのだった。娘が見る間にも刀が打ち上がって行くではないか。これでは、この恐ろしい鬼に嫁に行かねばならない。何とかしなければと、娘は隙をうかがって鬼の仕事を見張っていた。東の空が明るくなり始たころ、鬼はとうとう10本の刀を打ち上げてしまったのだった。さすがの鬼も、これには疲れたらしく、「どれ日が出るにはまだ一刻以上ある、少し横になって寝るとするか」とつぶやくと、ぐうぐう高いびきをかいて眠ってしまった。娘はここぞとばかり、こっそりと一振りの刀を鍛冶場から盗みだし、家の納戸に隠してしまった。それと知らぬ鬼は、朝になるとまたひょろりとした男に化けて鍛冶屋の前に現れた。ところで、当時刀は、腰にぶら下げるものだったから、一腰(ひとこし)、二腰(ふたこし)と数えたものだという。「確かに刀を10腰こしらえました。見て下さい」と若者が言うので、鍛冶屋が確かめに鍛冶場に入った。鍛冶屋が一腰、二腰と刀を数える。・・・・しかし、九腰まで数えると、十腰目が無いではないか!若者(鬼)は、十腰無い!十腰無い!と叫んでみたものの、悔しい思いで山のほうに駆けていった。また、強力の刀鍛冶が十振の刀を打ち出して自慢したが、そのうちの一振が杉に突き刺さり、里人はこれを神として尊敬し、九腰の刀が残ったため"十腰無い"村と呼ばれた。十腰内の由来伝説は、よく聞かれる百振りの刀を打つ鬼の昔話と同じ類話である。ただし、岩木山周辺には、赤沢、赤石など製鉄に関連したと思われる地名が散見され、鍛冶集団の中には鬼の子孫であるとする伝説をもつものもあるため、この昔話が伝来した背景にはこの地域に製刀集団が居着いた可能性を秘めている興味深い伝説と言えるだろう。しかし上記の2つの説は、いずれも定かではない。市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
出典:wikipedia
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