ラウレアーノ・ビサン・エタメ・マイヤー(Laureano Bisan Etame Mayer, 1977年1月19日 - )はカメルーンの元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。父親は赤道ギニアの政治家だった。メイドが働き、大きな家に住んでいた裕福な家庭だったが、1977年に独裁者のマシアス・ンゲマにより、突然父親が政治犯として投獄され、処刑を待つ身になっていた。赤道ギニア軍に所属していた兄の働きで父親は釈放された。父親は既にローレンを妊娠中だった母親と共に国境を越えカメルーンに入国。ローレンはカメルーンで生まれた。かつてスペインの植民地だった赤道ギニアと違い、カメルーンではフランス語で話す必要があったため、家族は数年でスペインのマドリードに引越し、セビリアに移り住んだ。スペインでプロデビューし、1998年にRCDマヨルカに加入。元スペイン代表のビセンテ・エンゴンガと鉄壁のダブルボランチを構成した。98-99年のカップウィナーズカップ(現在のUEFAカップ)では、決勝でSSラツィオに敗れたものの、準決勝でアーセナルFCを破るなど、マヨルカ旋風の立役者となった。(ちなみに、マヨルカ在籍時代は、『ラウレン』と表記されることが多かった)2000年夏にアーセナルFCへと移籍。03-04シーズンのリーグ戦無敗優勝等、チームの主力として活躍した。2007年1月、冬の移籍マーケットでアーセナルFC時代のチームメイト、ソル・キャンベル、ヌワンコ・カヌらがプレーしているポーツマスFCへ移籍した。代表では2002 FIFAワールドカップに出場し、カメルーン代表の話題性に乗じて日本でも幾度か名前を聞くことができた。しかし大会後に代表招集を拒否、2004年に再び招集を受け入れるもその後正式に代表引退を表明した。2001年のコンフェデレーションズカップでは、何の予告もなく来日が遅れ、一部では『ローレン失踪か?』と報じられた。2010年3月にスペインのコルドバCFと契約を結んだが、シーズン終了後現役を引退した。
出典:wikipedia
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