大 祚栄(だい そえい)は渤海の初代王。唐から与えられた称号は渤海郡王であり、忽汗州都督府都督の官職を受けた。ツングース系民族の靺鞨とされる。大祚栄や渤海国の成り立ちに関して『旧唐書』は「渤海靺鞨の大祚栄、本は高麗の別種なり」(渤海靺鞨大祚榮者 本高麗別種也)と記し、『新唐書』はより具体的に「本来高句麗に付いていた粟末靺鞨の者で、姓は大氏である」(渤海,本粟末靺鞨附高麗者。姓大氏)とする。万歳通天元年(696年)に営州地方で父の乞乞仲象と共に自立を画策し、聖暦元年(698年)には自立の動きに反対する武周軍を破って震国を建国した。武周は震国を牽制するために、大祚栄に官職を与える懐柔策や、軍事的な圧力を加えることで緊張関係が継続していたが、神龍元年(705年)には復活した唐の招安に応じ、唐臣としての地位を確認、唐も結局先天2年(713年)に「渤海郡王」の称号を与え、同時に忽汗州都督府都督を兼任することで正式に冊封体制に組み込まれるに至った。外交関係としては、唐との修好関係以外に突厥、契丹、新羅、日本との外交関係も構築し、海を隔てた日本を除く4ヶ国との緩衝国家としての地位を評価する説も存在している。開元7年(719年)に薨去、その地位は次男の大武芸が継承した。
出典:wikipedia
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