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姉小路忠方

姉小路 忠方(あねがこうじ ただかた、仁治2年(1241年) - 弘安5年12月19日(1283年1月19日))は、鎌倉時代中期の公卿。権大納言・姉小路顕朝の長男。官位は正三位・権中納言。父・顕朝が後嵯峨上皇の腹心であった事から、正嘉2(1258年)18歳で右少弁となり、父の死後である文永5年(1268年)には参議に昇って後嵯峨上皇の伝奏を務める。文永7年(1270年)正三位・権中納言に昇進するが、翌文永8年(1271年)同じ正三位・権中納言ながら宮中の序列が下位の中御門経任が従二位に叙せられた事で忠方は昇進面で先を越されてしまう。忠方は経任とは不仲であった上に、後嵯峨上皇が父・顕朝亡き後の一番の腹心に顕朝の遺児である自分ではなく経任を指名したと考えて、忠方は憤慨して知行国(甲斐国)を返上して権中納言の官職を辞してしまう。これによって暗に後嵯峨上皇の翻意を促そうしたものであると考えられているが、逆にその逆鱗に触れて宮中を追われてしまう形となった。忠方は失意のうちに姉小路家伝来の文書を焼き捨てて(公家社会では事実上の家名の断絶を意味する)出家し、42歳の若さで病死した。これによって勧修寺流姉小路家は断絶した。

出典:wikipedia

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