山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する大分県中津市出身のプロ野球選手(投手)。大相撲の元幕内力士・谷嵐の次男でもある。柳ヶ浦高等学校1年時のに、第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場したが、初戦で常総学院高等学校に敗れた。その一方で、2年時のには、秋季九州大会と明治神宮野球大会で優勝を経験している。3年時のには、春の第77回選抜高等学校野球大会に出場。天理高等学校との初戦では、ストレートで最速151km/hを計測したが、チームを勝利に導けなかった。チームが優勝候補に挙げられていた夏の第87回全国高等学校野球選手権大分大会では、大分県立別府青山高等学校との準決勝に先発したが、登板中に右肘を痛めたため緊急降板。チームも、延長11回まで戦った末に決勝進出を逃した。2005年のプロ野球高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。契約金9,000万円、年俸870万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は11。公式戦の開幕を二軍で迎えたが、6月23日に一軍へ初昇格。同月29日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(横浜スタジアム)に先発投手として一軍デビューを果たすと、5回表2死まで走者を1人も出さないほど好投した末に、6回2被安打1失点という内容で初勝利を挙げた。以降は、登板間隔を10日以上空けることを条件に、一軍先発陣の一角へ定着。通算ではオール先発で5試合に登板したが、被本塁打や与四球が多く、1勝2敗、防御率6.43という成績でシーズンを終えた。オール先発で一軍公式戦4試合に登板したが、0勝3敗、防御率6.30という成績にとどまった。その一方で、二軍調整中だった8月には、イースタン・リーグの月間MVPに選ばれている。シーズン中盤までは、イースタン・リーグ公式戦で、先発・中継ぎ・抑えの全ポジションを経験。シーズン終盤に一軍へ昇格すると、中継ぎ投手として16試合に登板した。一軍公式戦では、与四球が多かった一方で、投球イニング数を超える奪三振を記録。防御率0.76、被打率.154という好成績を残した。公式戦の開幕から、セットアッパーとして一軍に定着。救援で10試合に登板した4月には、投球イニング14回ながら14奪三振、防御率0.64、2勝5ホールドを記録した末に、セントラル・リーグの月間MVPを初めて受賞した。さらに、シーズンの途中からはクローザーに転向。一軍公式戦通算では、51試合の登板で、5勝4敗18セーブ、防御率3.27という成績を残した。球団がクローザー候補としてクリス・ブーチェックを獲得したことから、春季キャンプでは、先発投手への再転向を視野に調整していた。しかし、ブーチェックがオープン戦で不振だったことから、公式戦の開幕直前でクローザーに復帰。前半戦では同点の場面で登板する機会が多かったが、セントラル・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、「2試合を通じて最も印象的な活躍を見せた選手」としてマツダ・プレマシー賞を受賞した。さらに、後半戦で本来の調子を取り戻すと、自身初の30セーブを記録した。前半戦に一時1点台の防御率を維持するなど好調だったことから、2年連続でオールスターゲームに出場。後半戦でやや精彩を欠いたものの、2年連続で30セーブを記録するとともに、前年から防御率や負け数を改善させた。一軍公式戦で自己最多の60試合に登板。9月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で、通算100セーブを達成した。NPB史上25人目の記録だが、25歳と53日での達成は史上最年少であった。防御率もクローザー定着後では最も低い1.74を記録したが、同点や敗戦処理での登板機会が多かった影響で、セーブ数は前年から減少した。シーズン終了後の「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」では、日本代表代表入りしたのクローザーとして、全2試合でセーブを記録。その一方で、12月13日の契約交渉では、早ければ翌シーズンの終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグ球団への移籍を目指す意向を球団側に伝えた。一軍公式戦では、5月の時点で4勝を記録。44試合に登板したが、救援失敗を繰り返したため、二軍への降格を3回経験した。ホルヘ・ソーサがクローザーに定着したシーズン途中に1勝を上乗せしたが、一軍公式戦全体では、7セーブ、防御率5.40と低迷した。開幕からソーサにつなぐセットアッパーを任されたが、5月終了時点の防御率が7.62に達したため、先発へ再び転向すべく二軍で調整。6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来7年振りの一軍公式戦先発登板を果たすと、6回2被安打無失点の好投でシーズン初勝利を挙げた。一軍公式戦での先発登板で勝利投手になったのは、2006年の一軍デビュー戦以来8年振りであった。この月には、先発登板4試合で3勝1敗、防御率0.99という好成績を残したため、自身2度目の月間MVPに選ばれている。さらに、7月1日の対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)では、3回表の第1打席で一軍公式戦初本塁打を記録。9月には、3日の対阪神タイガース戦(甲子園球場)に11奪三振の力投で一軍初の完投勝利を挙げると、自身3度目の月間MVPに選ばれた。シーズン全体では、月間MVPを2度獲得したほか、リーグ最多の3完投を記録。8勝5敗3ホールド、防御率2.90という好成績を残したことから、12月11日の契約交渉後の記者会見では、翌も先発投手に専念することを明かした。オープン戦の開幕投手を任された後に、公式戦の開幕を一軍の先発投手として迎えた。開幕後は、4月25日の対中日戦(横浜)でチームのシーズン初完投勝利を挙げるなど、自身3連勝を記録。ただし、試合途中の6回に失点を重ねる傾向が見られたほか、好調な打線の援護にも恵まれていた。5月中旬から不調に転じると、7月4日の対阪神戦でシーズン初黒星。7月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン3敗目を喫してからは、一軍と二軍を何度も往復した。結局、一軍公式戦では3勝を挙げただけで、7月以降に6連敗を記録。防御率も4.49にとどまった。下園辰哉に代わって、球団の選手会長に就任。球団の仕事始めであった1月4日には、かつてのチームメイトでもあった新任のアレックス・ラミレス一軍監督から、公式戦の開幕投手に初めて指名された。オープン戦では3試合の登板で12イニング連続無失点と好調だったが、調整の目的で登板したロッテとのイースタン・リーグ公式戦(3月12日)で、一塁へのベースカバーへ入った際に右足首を捻挫。この事態を受けて、首脳陣は開幕投手を井納翔一へ急遽変更した。4月9日の対ヤクルト戦(横浜)で一軍公式戦へのシーズン初登板・初先発を果たすと、自身2年振りの本塁打を放ってシーズン初勝利を挙げた。さらに、セ・パ交流戦の期間中には、セ・リーグ球団の投手で初めて2試合連続完封勝利を記録。7月上旬の時点で両リーグ単独トップの3完封勝利を記録するほどの好調を背景に、オールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として第2戦(7月16日・横浜)での先発が内定していた。しかし、7月9日の投球練習中に左足首を捻挫。その後の診察で左前距腓靱帯(じんたい)および脛腓靱帯(じんたい)の損傷が判明したため、オールスターゲームへの出場を辞退するとともに、井納が代替選手として出場した。8月3日に一軍へ復帰してからも、右のエースとして好調を維持。9月3日の対阪神戦(甲子園)で自身初のシーズン10勝に到達するなど、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦19試合の登板にとどまりながらも、11勝5敗、防御率2.86という好成績をマーク。完投試合数(5)と完封試合数(3)は、いずれもリーグトップであった。打者に対してやや左足をファースト方向へずらしてセットするスリークォーターからリリーフとして起用された際には平均球速約148km/h、最速157km/hのストレートと落差の大きいフォークボールを軸に、縦横のスライダー、カーブを織り交ぜて勝負する速球派投手。先発転向後はシュート、SFFも使用し始めた。さらに、2016年からはワンシームを習得している。その一方で、2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康への頭部死球によって球審から危険球退場を宣告。危険球宣告による退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を浴びて先制点を許すと、4番打者・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」というNPB一軍公式戦史上最短記録を残す羽目になった。ちなみに、NPBの一軍公式戦で1死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった。2014年12月25日に、グラビアアイドルの加織と結婚した。この時点で加織が芸能活動を事実上休止していたことから、当初の発表では、結婚相手を「一般女性」と表現。加織自身も、同日付の公式ブログで結婚と懐妊を伝える記事を掲載した際に、山口への配慮などから結婚相手の氏名を伏せていた。しかし、夫が山口であることを一部の週刊誌が報じたことから、2015年3月14日に公式ブログを通じて山口との結婚を正式に公表。同月21日には、前日(20日)に第1子(長女)を出産したことを報告した。2016年には、山口の先発が予告されていた8月20日の対中日戦(横浜)試合前に、加織が第2子(長男)を出産。山口自身も、当時の自己最多記録に並ぶシーズン8勝目を挙げている。
出典:wikipedia
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