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Pro Wrestling Crusaders

Pro Wrestling Crusaders(プロ・レスリング・クルセイダース、別名「プロレス十字軍(プロレスじゅうじぐん)」)は、日本のプロレス団体。略称はPWC(ピー・ダブリュー・シー)。後に設立したPWCプロモーション(ピー・ダブリュー・シー・プロモーション)に関しても本稿で解説している。SWS崩壊後、所属していた選手がWARとNOWに分かれた際、NOWに移籍したジョージ高野と高野俊二(現:高野拳磁)が、団体内の問題から旗揚げまもなくに離脱(SWS時代の『道場・檄』の所属選手が中心となったNOWの体制に反発したとも、NOWプレ旗揚げ戦後の1992年9月10日発売の週刊文春に高野兄弟によるSWS解散の顛末とメガネスーパーを糾弾する手記が掲載され、スポンサーを予定していたメガネスーパーとの軋轢を避ける為に、NOWとしては高野兄弟を離脱させざるを得なかったからとも言われている)、設立された団体。当初、事務所・道場は東京都東大和市の南街に構え、旗揚げ興行は1993年2月13日、愛知県の東海市民体育館にて行われた。所属選手は高野兄弟の他に、元W★INGプロモーションの戸井マサル、島田宏、旧W★ING出身の保坂秀樹(PWC出場時のリングネームは弁慶)、覆面レスラーの牛若丸(現:赤城)、ルー・テーズ門下生の渡辺幸正(現:セッド・ジニアス)、生え抜きの新人だった黒田哲(現:黒田哲広)、留学生のアイアン・ホース。他はフリーの選手を起用して外国人レスラーに関しては、兄弟がカナダへ武者修行していた際に世話になったミスター・ヒトのルートで、国際プロレス出身の稲妻ジロー(稲妻二郎)を始めとするカナダ勢のレスラーをブッキングして陣容を整える。また、発起人として内紛によってSWSを退団した谷津嘉章と仲野信市も名を連ねていたが、同団体に参戦する事は無かった。旗揚げ当初に標榜したのは「スポーツライクなプロレス」だった。その一方で、盲導犬協会とタイアップしてリング上で盲導犬のデモストレーションを行ったり、前座の余興として浮世亭リング・サイド率いる「吉本プロレス軍団」提供の「お笑いプロレス」を組み込むなど、何とか他団体との差別化を図ろうとした(俊二は旗揚げ当時、「子供にプロレスを返す」、「ミル・マスカラスのLPレコードを正座して真剣に聴いていたような、あんな時代のプロレスに戻したい」と語っている。また、前座に数々の余興を組み込んだのは、イベントに参加する感覚で、プロレスに親しんでもらおうという目的があったという。)。ところが「キックとスープレックスの神様!」との触れ込みでフリー参戦して当団体での再生を期したはずの高木功(現:嵐)が、突如、高野兄弟に反目。高野兄弟と、ヒールに傾倒した高木との間で抗争が勃発する。遺恨清算の目的で、俊二と高木との間では「チェーンマッチ」(「チェーンデスマッチ」ではない)も行われた。皮肉にもこれらの抗争が売り物となってしまい、他団体と大差ない内容になってしまった。SWSの崩壊及び分裂に際してスポンサーであったメガネスーパーは、WAR、NOWの両団体に資金援助を約束、WARには2年間、NOWには1年間にわたりこの約束が遂行されたが、NOWを離脱した高野兄弟には資金援助がなされなかった為、旗揚げ当初から経営地盤が脆弱だった。加えて代表である俊二の経営のアバウトさにより、すぐに資金難となり、高木が離脱。高野兄弟に対抗出来得る勢力が一気に手薄となってしまう。加えてが団体を離脱、さらに道場に置いてあったリングも盗難に遭う(借金の担保に持っていかれたとも言われるが、事件の真偽も含め、詳しい事情は不明)など苦難が続き、さらに選手の離脱も起き、最終的には高野拳磁の個人プロダクション的な団体となってしまう。その後、将軍KYワカマツが宇宙パワー軍団(当初は鶴見五郎、後に木村浩一郎が扮していた)を率いて参戦して奇天烈な試合内容と、ファンの「野良犬!野良犬!」のコールのなか、拳磁が手錠をかけられワカマツに街中を引きずり回されるなどのハチャメチャなパフォーマンスで一部マニアを惹きつけるものの(この頃の有名なファンとして杉作J太郎がいる)、事態は好転せず、再び選手の離脱が起きて活動を停止する。1994年、拳磁は西日本プロレスに参画するも、わずか1試合で電撃離脱して「まーた飛び出しちゃったよーだ九州!」のセリフとともにPWCを復興。その時に新弟子も募集し、三上恭平(現:MIKAMI)や野沢一茂(現:NOSAWA論外)等の新戦力がようやく誕生して、さらに高木三四郎がIWA格闘志塾から移籍してフリーとして菊澤光信(現:菊タロー)らが参戦した等もあり、持ち直したかと思われた。しかし1996年10月17日の北沢タウンホール大会後にまたも所属選手が一斉に離脱(その後、DDTプロレスリング旗揚げに参加)。これでとどめをさされた形となり、以後PWCは開店休業状態となっている。2000年ごろ、足立知也(現:斗猛矢)の立ち上げていたZIPANGプロモーションにて、サバイバル飛田、長瀬館長、島田宏、森谷俊之らがPWC残党軍を結成。ユニットとして活動した。なお、DDTプロレスリング夏の恒例イベントとなっているビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」は、PWC末期に拳磁発案の下、後楽園ゆうえんちで始められ、それを高木三四郎が引き継いだものである。現在ではこのビアガーデンスタイルは他のインディー団体にも波及している。2013年現在、PWCの名称は存在しているが、唯一の所属選手である高野拳磁がセミリタイア状態となっているため、実体はない。拳磁は「俺が生きている限り、俺の団体はなくならねえんだよ」と語ったとされる。2003年、PWCで広報を務めていた森谷俊之を代表に、エースに元NOWの維新力を据えたPWCプロモーションを設立。維新力やターザン後藤ら新生PWC軍と、サバイバル飛田や足立知也(現:斗猛矢)ら旧PWC軍による抗争が行われたが、1年強で活動を停止。PWCプロモーションに拳磁が出場することはなかったが、2004年の博多スターレーン大会では、ジョージがザ・コブラとして参加。なお、活動を停止した時点で、すでに会場の北沢タウンホールを数か月先まで予約済みであったため、その後、PvvCを旗揚げして日程を消化。2005年12月に1度だけ復活して興行を行っている。

出典:wikipedia

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