長尾 景信(ながお かげのぶ)は、室町時代中期の武将。上杉憲実の家宰・長尾景仲の子として生まれた。寛正2年(1461年)に父が高齢を理由に隠居したため、その跡を継いで山内上杉氏の当主・上杉房顕の家宰となった。文正元年(1466年)に房顕が嗣子無くして死去すると、将軍足利義政の命を奉じて、越後の守護大名であった上杉房定の次男・上杉顕定を房顕の養子として迎えた上で山内上杉家を継がせ、文正2年(1467年)には関東管領にしている。そして景信自身は守護代として山内上杉家の実権を掌握し、陰の実力者として古河公方である足利成氏と対立する。文明3年(1471年)4月には自らが総大将として上杉軍を率いて下野国に攻め入り、赤見城や樺崎城を落としている。同年5月には下総に攻め入って、遂に成氏の居城・古河城をも陥落させた。しかし文明4年(1472年)に成氏が古河城を奪い返したため、再び自ら総大将として下総に攻め入り、足利軍と対峙する。戦いは優位に進めていたが、その最中である翌年6月23日、五十子陣において陣没した。享年61。家宰職は弟の忠景が継いだが、これに不満を抱いた嫡男・景春が主君顕定に対して反乱を起こす事になる(長尾景春の乱)。
出典:wikipedia
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