東京大神宮(とうきょうだいじんぐう)は、東京都千代田区富士見二丁目にある神社である。天照皇大神・豊受大神を主祭神とし、天之御中主神・高御産巣日神・神御産巣日神・倭比売命を相殿に祀る。明治5年(1872年)に開設された神宮司庁東京出張所(伊勢神宮の事務機関である神宮司庁と東京の教部省との連絡のための出張所)、および、翌年その構内に開設された東京神宮教会(伊勢神宮の教導機関である神宮教院の東京支部)の両所にあった神殿を継承して、明治13年(1880年)4月17日、有楽町の大隈重信邸跡に落成した皇大神宮遙拝殿が当社の起源である。これは、当時の明治政府が目指していた祭政一致・大教宣布の一環として作られたものであった。明治15年(1882年)1月、明治政府の方針転換により神社と宗教活動は分離することとなり、伊勢神宮でも神宮司庁と神宮教院を分離することとなった。皇大神宮遙拝殿は神宮教院に属することとなり、同年5月、神宮教院が神道神宮派に改称する際に、当社も大神宮祠と改称した。一般には、所在地名から日比谷大神宮と呼ばれていた。明治32年(1899年)神道神宮派が解散して新たに神宮奉斎会が作られ、当社は神宮奉斎会本院と改称し、神宮奉斎会の本部機関となった。尚、三重県宇治山田市(現・伊勢市)には神宮教院大本部が置かれていた。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿を焼失し、昭和3年(1928年)、現在地に再建・遷座して、以降は飯田橋大神宮と呼ばれるようになった。上述のように、第二次大戦以前は神社という形ではなかったので、社格の指定はない。ゆえに氏子地域も存在しない(当社所在地は築土神社の氏子地域にあたる。)。第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)4月、宗教法人東京大神宮として再発足した。神宮奉斎会時代、教化事業として神前結婚式の創設と普及活動を行った。明治33年(1900年)5月10日、明治天皇第三皇子の明宮嘉仁親王(後の大正天皇)と九條公爵家令嬢の九條節子(後の貞明皇后)との御結婚の儀が宮中三殿に於いて執り行われた。神宮奉斎会国礼修業部は嘉仁親王と節子妃の結婚の儀を基本にして神前結婚の儀式を創設し、翌明治34年(1901年)3月3日、当社において模擬結婚式を開催した。その後改良を加えた神前結婚式のスタイルが奉斎会各県本部・各支部によって全国に広められ、定着していった。今日「神前式」として行われている結婚式は、神宮奉斎会が創設したものが基になっている。なお、現在同神社での神前結婚式及び披露宴については、松屋の関連会社であるアターブル松屋が運営しており、「東京大神宮マツヤサロン」の名称を用いている。
出典:wikipedia
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