宇都宮師管区(うつのみやしかんく)とは、第51師団が管轄する区域のこと。茨城・栃木・群馬の三県を管轄区域とし、水戸連隊区・宇都宮連隊区・前橋連隊区を管掌した。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)には師団長の管掌していたこの地域の兵事事務を引き継ぎ宇都宮師管区司令部が設けられた。明治時代の中ごろまでは宇都宮を衛戍地とする師団は無く、栃木県と茨城県は近衛師団の、群馬県は第1師団の管轄区域であった。その後、明治38年(1905年)に第14師団が創設され、この三県は第14師団の管轄する区域、即ち第十四師管区となった。また、大正14年(1925年)に廃止された第13師団に所属していた歩兵第50連隊(松本)が第14師団に所属し、この時点での第十四師管区の範囲には長野県も含まれた。昭和15年(1940年)8月から第14師団の衛戍地が満州に変わった。そのため代わりの常設師団として第51師団が創設され、茨城・栃木・群馬の三県を管轄区域としたが、同年8月1日からは師団名ではなく地名が用いられるようになり、宇都宮師管区と呼ばれるようになった(「陸軍管区表」昭和15年7月24日軍令陸第20号)。昭和20年(1945年)になると太平洋戦争も最終局面を迎え、軍の編制を根本的に改め作戦と軍政の分離が推し進められ、この地域の兵事事務を担当する組織として宇都宮師管区司令部が設けられた。それまで師団長の管掌下で徴兵事務を担当していた連隊区司令部を閉鎖し、軍管区司令部に隷属する師管区司令部が、新設の地区司令部と臨時編成の連隊区司令部を管掌する体制とし、形式上は別れてはいるが実際には兼職の方面軍司令官の指揮下に兵事事務が置かれることとなった。昭和20年(1945年)6月本土の空襲が激化する中、宇都宮師管区司令部の地下移設が行われた。八幡山の地下に掘られた司令部壕は24時間体制250人の人員で作業が行われたが、終戦までに間に合わなかった。未完成の壕を敵に見られるのを恥じた工員達は終戦後も掘り続けたと言う。平成14年(2002年)から宇都宮市によって公開されている。
出典:wikipedia
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