『汽車のえほん』(きしゃのえほん、原題: )とは、ウィルバート・オードリー牧師と息子の(原作第27巻以降)が作り上げた、イギリスの架空の島ソドー島を舞台に、そこの鉄道網で活躍する、顔と意思を持った機関車や自動車などと、それに関わる人々を描いた絵本。テレビシリーズ「きかんしゃトーマス」の原作である。当稿では原作「汽車のえほん」のみの基本情報について総括する。なお作品の舞台については「ソドー島」を参照。1942年、クリストファーがはしかにかかっていたとき、ウィルバート・オードリー牧師は、ある機関車の物語の詩を息子に語り聞かせた。その内、特にクリストファーが好きだった詩は次のようなものである。クリストファーはその詩の細部についてオードリーに質問し、オードリーは答えを最初の短編「エドワードのたのしい一日」の創造につなげていった。 続いてエドワードに関する別の話「いばりんぼうのゴードン」を創作し、当時クリストファーと同じ道路に住んでいた、かなりわがままな子供にちなんで命名した大きな機関車ゴードンが登場、エドワードとともに活躍した。そして第3話「なさけないヘンリー」は、次の五行俗謡から創作された。これは19世紀、イギリスのある鉄道でアメリカ製の機関車がトンネル内で故障し、そのまま放置されたという出来事に由来したものである。この話には「ふとっちょの重役」が初めて登場した。オードリーは妻マーガレットによって薦められ、1943年に児童図書出版社のエドモンド・ウォード社に出版を持ち込んだ。出版社はヘンリーを救出する4番目の話を書くようにアドバイスしたのに加え、オードリーが3両の機関車が同じ鉄道会社で働いているのを意図していなかったのを「ふとっちょの重役」の鉄道会社でひとつの舞台にまとめるようにも促した。これに対してオードリーは「なかよしになった三だい」という話で要求に応じ、ヘンリーを救出し復権させ3台を仲良くさせた。こうして「三だいの機関車」がウィリアム・ミドルトン (William Middleton) の挿絵で1945年に出版された。ミドルトンの挿絵は機関車の描写が稚拙で、オードリーは非常に不満を抱いていた。オードリーは1945年のクリスマスにクリストファーのため、木切れからタンク式蒸気機関車のおもちゃを作り出した。クリストファーは「トーマス」と名付け、一番のお気に入りのおもちゃになった。こうして世界一有名な機関車「トーマス」が誕生した。クリストファーは、「トーマス」に関する話を作るように父親に要求し、オードリーは1946年までにトーマスが活躍する4つの話を作り、レジナルド・ペイン (Reginald Payne) が挿絵を付けて「機関車トーマス」が出版された。その際ペインはクリストファーのおもちゃの機関車のままでは使えないと判断し、ロンドン・ブライトン・アンド・サウスコースト鉄道の「クラスE2」をモデルにトーマスを描いた。リアルなペインの挿絵には満足だった。ペインの挿絵は現在確認されていないが、本書の挿絵をレジナルド・ダルビーが描き直した際、そのまま丸写ししたので、ある程度ペインの作風をうかがい知ることはできる。2冊の本は好評で、次に第2巻第4話「トーマスときゅうえん列車」に出てきたジェームズに関する話を書くよう、出版社から依頼された。イギリスの鉄道が国有化された1948年に「赤い機関車ジェームズ」が出版された。この巻から鉄道国有化の影響で、トーマスたちの働く鉄道も国有化された。当初、挿絵はオードリーのお気に入りだったレジナルド・ペインが担当する予定だったが、海軍関係の仕事で神経を病んでしまい、代理の画家として編集者のエリック・マリオットがオードリーの承諾を得ずに、レスター生まれのクラレンス・レジナルド・ダルビー(Clarence Reginald Dalby 1904年 - 1983年)を呼んだ。しかし、第3巻が出版されると親しみやすい絵柄と大胆な色使いで、ダルビーは人気を得、先の2冊が版を重ねる際には、ダルビーの挿絵に差し替えられることになった。絵の出来が刊行順と無関係に3巻→2巻→1巻と上手くなっていくのはこれが理由。※日本語表記は長年「ドールビー」だったが(英語で語頭がアクセントのある"al"の場合、ほとんどが[o:l]と発音する)とりあえずここでは先投稿者に従い、ダルビーのままとした。これについては将来正確な情報が入り次第、修正される可能性がある。以後、人気に応えて1年に1巻のペースで、オードリーの文とダルビーの挿絵でシリーズは続刊していった。当時イギリス各地で発生した保存鉄道の運動に共鳴したオードリーは、第10巻には、実在の保存鉄道であるタリスリン鉄道(複雑な発音で「タリシン鉄道」とも表記されるが、原作の日本語表記はタリリン)をモデルにした狭軌のスカーローイ鉄道も舞台に加えた。ところでダルビーの挿絵には当初から細部がいい加減で、一貫性にも問題もあり、鉄道に詳しいオードリーには不満があった。オードリーがそのことで不満を述べれば、挿絵の打ち合わせは度々言い争いになった。そして第11巻「ちびっこ機関車パーシー」の執筆中、オードリーがパーシーを見て「これじゃ赤線の入ったイモムシだ」と言ったことにダルビーが激怒、積年の確執からダルビーは挿絵を辞職した。ダルビーにかわり、同じくレスター生まれのジョン・セオドア・アードリー・ケニー(John Theodore Eardley Kenney 1911年 - 1972年)が「八だいの機関車」から挿絵を担当した。ケニーの絵のスタイルはそれほどカラフルでなく、より現実的でリアルでダルビーとは随分と異なるものだったが、挿絵のために機関車をスケッチしたり、アトリエの存在も子供たちに知られ、リアル指向のオードリーとは良好な関係であり、どことなくユーモア漂う作風も、読者にもすぐ受け入れられた。ケニーは口の横のエクボを深く描いたことで、機関車の表情を豊かにした。逆にエドワードやジェームズの半円型の眼だけは、なぜかダルビーの絵を模写せず、普通の丸眼になっている。ケニー独自の顔は何種類もあるが、顔の中央を黒っぽくして非常にリアルな顔を描くというものがあり、特に第13巻 - 第15巻で見られる。驚いたり怒ったりした時の、丸眼を縦長にしてまゆ毛を逆立てた顔は迫力があり、良い味を出していた。だがケニーは眼疾患により視力が失われたために交代を余儀なくされ(後にその疾患が原因で亡くなった)、 担当巻数は最も少ない。ケニーの代わりとして出版社が選んだ5人目の画家は、スウェーデン生まれの女性画家、ガンバー・エドワード (Gunvor Edward) であった。 彼女は「がんばりやの機関車」から早速担当することになった。まず第4話の初めの挿絵から始めてみたが、限られた構図の中に5両の機関車を正確に描くのは、自分では困難な仕事であると感じたようで、同じ画家の夫ピーター・エドワード (Peter Edward) に描けるかどうか試してもらった。このことがきっかけで仕事を手伝ってもらい、後にピーターが機関車、ガンバーが背景の担当になった。ちなみにロンドン生まれのピーターはガンバーと英国で知り合い、結婚後一度スウェーデンに住んでから、ロンドンに戻っている。こうしてガンバー&ピーター・エドワーズの共作挿絵によりシリーズは再開した。オードリーと新しい挿絵画家夫妻との関係は最初のミーティングから順調に進んだ。実物を見て描く等、機関車のディテールは歴代画家中最高の精度で、細部の挿絵は巧みで魅力があり「明らかにキャラクターに対する愛情を持っています」と語るまでに、オードリーはエドワーズ夫妻の挿絵の仕事に感謝した。しかしオードリーは「井戸は干上がった」と感じて、第26巻「わんぱく機関車」をもってこの絵本シリーズをいったん終了することにした。きっかけは第15巻の裏表紙裏に記されている。当時英国に在住中だった桑原三郎が偶然本屋で見つけ、親子で愛読書としたのが始まりだった。これに清水周裕も加わった2人で翻訳をつとめ、児童書で有名なポプラ社から出版されている。また黒岩源雄(初版出版当時京成電鉄顧問。その後北総鉄道社長、鉄道工作協会会長等を歴任2002年6月29日没。第15巻に名前が触れられただけで、ほとんどノークレジット)による専門用語についての監修を得たことで、鉄道用語(英語が分化した頃なので、英米で単語の違いが激しい)の翻訳が「はつらいしんごうき(発雷信号機)」「かんしょうき(緩衝器)」などと正しく訳されている。現在までに判明しているもののみ記す。クリストファーもまた父のように鉄道ファンであった。クリストファーに子どもができ、かつてのオードリーと自分のように、機関車について子どもと対話するようになった。 ある日ネーンバレー保存鉄道を訪問した際、インスピレーションを受けて最初の話を発想、早速文章にして父親に見せた。ちょうどテレビシリーズ化の相談を受けていたオードリーはそれを読んで天恵を感じ、公表・出版を提案した。そしてクリストファーの持込により「Really Useful Engines」は1983年に発行された。オードリーは本書を「汽車のえほん、第27巻」とし、シリーズの再開をきめた。挿絵は、新しい汽車の絵本の出版社でもあるハイネマン社は第26巻までのガンバー&ピーター・エドワーズの挿絵を好んでいなかったため、クライヴ・スポング (Clive Spong) をつれてきた。第27巻はダルビーやケニーの絵に似せて描いたが(ただしダックの顔がトーマスみたいになっている点がおかしい。ダルビーはゴードンと同じで描いている)、第28巻からは独自の絵になった。ここから機関車の顔はシワの寄った老け顔となってしまい、旧来の読者には受け入れ難いものとなっている。顔以外についても、車庫が扇型庫になったり、トーマスの支線の分岐駅が急に海寄りの場所に移転したり、局長がヒゲ面の別人になったり(これは局長がトッパム・ハット3世になったため)と、第26巻までとは明らかな設定の変更が行われた。それに応えるように1987年9月に「The Island of Sodor : Its People, History and Railways(ソドー島における人物、歴史および鉄道)」がウィルバート・オードリー牧師とその実弟のジョージによって刊行され、この物語の設定の集大成となった。この著書こそ真の「汽車のえほん」パーフェクト・ガイドといえるもののはずだが、全世界で絶版中(日本では翻訳すらされていない)になっている。既に時代は完全に蒸気機関車が引退し、保存鉄道でのみ会合できる状況で、クリストファーの描く新シリーズは、始めから簡単ではなかった。オードリーの時代なら基本的には悪者だったディーゼルの存在も、見直さなくてはならない(デイジーがD1、ボコがD2、7101号/「くま」がD3と正式に番号が与えられた)鉄道全体が牧歌的な逸話も生まれにくい近代化が進んでいた。ストーリーも当初はオードリーの話に似せていたが、ある程度たつとクリストファーなりの吹っ切れができたのか、タイトルに「Engines」がつかなくなったり、ディーゼル特急HSTのピップとエマが登場したり、トーマスが英国の鉄道イベントに出演して、マラード号(蒸気機関車で世界最高速度を出した)と会う、などという、今までとは異なる作風の話も登場した。1997年3月21日にオードリー牧師が死去、「汽車のえほん」に関する全ての権利が1998年4月28日までに、テレビシリーズの製作会社(ブリット・オールクロフト社、後にギラン(トーマス)社に改称)に買収された。クリストファーは権利者の許可なく勝手に「汽車のえほん」を出すことができなくなったため、「汽車のえほん」はしばらくの間発表休止に入った。トーマスの劇場版映画の興行失敗をきっかけに2002年に権利所有会社が大手の児童・幼児向け映像製作会社(ヒット・エンターティンメント社)に買収され、さらに2005年にイギリスの投資会社(エイパックス・パートナーズ社)がヒット社を買収した頃から状況が変化し2007年8月に旧版装丁で既刊全40巻の再版が実施された。さらに2007年9月には10年ぶりに第41巻「Thomas and Victoria」が、既刊分の装丁に合わせた装丁で発行された。2011年には最終章でもある第42巻が発行された。全巻日本語訳は未刊行。■は「こうざんてつどう・スカーローイ鉄道」の登場巻。
出典:wikipedia
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