三木 肇(みき はじめ、1977年4月25日 - )は、大阪府大阪市住之江区出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は東京ヤクルトスワローズの一軍作戦コーチ兼内野守備走塁コーチ。同じく元プロ野球選手の三木仁は実弟。上宮高校時代は高校通算23本塁打を記録した強打者として知られ、1995年のドラフト会議で福留孝介(近鉄が指名権獲得)・澤井良輔(ロッテが指名権獲得)と、くじに敗れたヤクルトが1位指名(外れの外れ1位)をして入団。2001年には79試合に出場するも、シーズン打率は2割を切り、首脳陣の評価を得るには至らなかった。2002年以降は城石憲之の台頭や、野口祥順の成長、田中浩康らの入団もあり、内野手の控えの地位すらも固められないシーズンが続いていた。2004年には打撃開眼を期してスイッチヒッターに転向。この年は26打数7安打、翌2005年は11打数4安打とチャンスは少ないもののある程度の結果を残している。2007年10月9日、代打でプロ最終試合に出場した古田敦也選手兼任監督の代走に起用された。2008年に川島慶三・橋本義隆・押本健彦との交換トレードで、藤井秀悟・坂元弥太郎と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍。同年6月8日、3打数2安打・1四球・二塁打を含む2打点と活躍し、プロ13年目で初となるお立ち台を経験。10月23日付けで現役を引退。引退後は、日本ハムの二軍内野守備走塁コーチに就任。2012年、一軍内野守備コーチに昇格。2013年、10月14日に退団する事が球団より発表された。2013年10月23日、シーズンより東京ヤクルトスワローズ二軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された。翌シーズンより一軍作戦コーチ兼内野守備走塁コーチに昇格。度重なる手首の故障によってバッティングが伸びず、打撃に関しては若手時代に期待をかけられたほどの成績は残せなかった。元は右打だったが、俊足に期待されて両打に転向した経緯がある。打撃とは対照的に、俊足で、単純な短距離走の能力は10代がピークだったと本人が『週刊ベースボール』のインタビューで語っており、その衰えを晩年は走塁・盗塁の技術向上で補っていたという。反面、フライで飛び出すなどのミスもやや多く見受けられた。守備範囲は広かったが、リストに問題があった為、送球の信頼度はさほど高くなかった。特に二塁での失策が多かった。優れた身体能力から池山隆寛の後継者として期待されたが、打撃面で伸び悩み、専ら代走での出場から守備に付く起用がなされていた。入団直後から手首を中心に怪我が頻発し、一軍に顔を出すようになってからも故障を繰り返した。
出典:wikipedia
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