テオフィロ・クビジャス(, 1949年3月8日 - )は、ペルー・リマ・プエンテ・デ・ビエドラ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。ペルー代表としては81試合に出場し、史上最多の26得点を挙げた。1970 FIFAワールドカップでは準々決勝進出に貢献し、コパ・アメリカ1975では優勝した。1978 FIFAワールドカップでは再び準々決勝に進出した。FIFAワールドカップ本大会では2大会で5得点ずつ、計10得点を挙げた。国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)の投票によってペルー史上最高の選手に選出されており、またIFFHSは世界トップ50にクビジャスを含めている。1972年には南米年間最優秀選手賞を受賞した。2004年には、ペレによってペルー人選手で唯一FIFA 100に選出された。2008年2月、ブラジルのFIFAワールドカップ初優勝からの50周年を記念して選考された「過去50年の南米ベストイレブン」に選出された。その少年のような風貌からエル・ネネ(El Nene、坊や)というニックネームを持つ。16歳だった1966年、アリアンサ・リマからデビュー。アリアンサ在籍時の1966年と1970年にはプリメーラ・ディビシオンの得点王に輝いた。1972年にはコパ・リベルタドーレスで得点王となり、南米年間最優秀選手賞を受賞。1973年、スイス・スーパーリーグのFCバーゼルに移籍金9万7000ポンドで移籍。1973-74シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは2得点を挙げた。1974年夏、ポルトガル・スーペル・リーガのFCポルトに移籍金20万ポンドで移籍。1979年、北米サッカーリーグ(NASL)のフォートローダーデール・ストライカーズと契約し、リーグ戦5シーズンで59得点を挙げた。1981年のロサンゼルス・アステクス戦では7分間でハットトリックを達成している。1984年にアリアンサ・リマに復帰し、ユナイテッドサッカーリーグ(USL)のサウスフロリダ・サンフォートラーダーデールを経て、1987年5月、アメリカン・サッカーリーグ(ASL)のフォートローダーデール・ストライカーズと契約。1988年にはタイトル獲得まであと一歩だったが、ワシントン・ディプロマッツに敗れて優勝を逃した。ディプロマッツ戦後、ストライカーズはクビジャスを放出。1989年3月、マイアミ・シャークスと契約したが、8試合に出場してわずか1得点に終わり、7月3日に放出された。その後はオーストラリアに渡り、ゴールドコースト・リーグのミラマール・イルシオネスでアマチュア選手としてプレーを続けた。3度のFIFAワールドカップに出場し、最初の2大会では5得点ずつを挙げている。5ゴール以上を記録した大会が2度以上ある選手は他にミロスラフ・クローゼとトーマス・ミュラーのみである。1970年代のFIFAワールドカップの歴史を象徴する選手のひとりに数えられている。メキシコで開催された1970 FIFAワールドカップでは4試合すべてで得点し、ペルー代表の躍進に貢献した。1次リーグではブルガリア戦、モロッコ戦(2得点)、西ドイツ戦で得点し、準々決勝では結果的に優勝するブラジル相手に得点したが、ブラジルに敗れて準々決勝敗退となった。クビジャス自身は5得点で得点ランキング3位となった。大会の最優秀若手選手賞を受賞し、ジャイルジーニョ、ゲルト・ミュラーに次ぐ得点数でブロンズブーツ(得点ランキング3位)を受賞した。大会のオールスターチームに選ばれ、サッカー大国ではないペルーで期待をはるかに超える活躍を見せた。大会後、ペレはクビジャスを自身の「後継者」とみなした。1974 FIFAワールドカップは南米予選で敗退したが、翌年のコパ・アメリカ1975ではペルー代表に2度目のタイトルをもたらした。クビジャスは準決勝のブラジル戦で得点し、決勝プレーオフにも出場した。アルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップでは5得点を挙げ、アルゼンチン代表のマリオ・ケンペスに次いで得点ランキング2位となった。1次リーグ初戦のスコットランド戦では芸術的な直接フリーキックによる得点を含めて2得点を挙げ、イラン戦では2つのPK成功を含む3得点を挙げてハットトリックを達成した。ペルー代表は準々決勝に駒を進めたが、8年前のメキシコの時と同様に、ブラジル、ポーランド、アルゼンチンと強豪が揃った2次リーグでは3戦全敗に終わった。クビジャスは1次リーグからの6戦全てに出場している。1982 FIFAワールドカップに出場したペルー代表にはクビジャスの他にセサル・クエト、ホセ・ベラスケス、フリオ・セサル・ウリベなどの選手がおり、ダークホースとして大きな期待が寄せられた。しかし、1次リーグではカメルーン戦(0-0)とイタリア戦(1-1)に引き分け、ポーランド戦(1-5)に敗北。3試合で勝ち点2しか獲得できず、1次リーグ敗退となった。敗退から1ヶ月後、クビジャスはペルー代表からの引退を発表した。アメリカ・フロリダ州・コーラルスプリングスに在住し、少年サッカースクールを運営している。また、サッカー解説者としても活動している。233||152||0||0|||16||13||249||16510||3||2||2||2||2||14||785||48||13||10||10||7||108||65163||75||0||0|||0||0||163||75491||278||15||12|||28||22||534||312
出典:wikipedia
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