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楠トシエ

楠 トシエ(くすのき としえ、1928年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。1924年生まれとする資料もある。1928年(昭和3年)1月11日、東京市神田区(千代田区神田)に楠山敏江として生まれる。1945年(昭和20年)3月、東京市滝野川区滝野川(東京都北区滝野川)にあった旧制・芙蓉女学校(現、東京女子学院中学校・高等学校)を卒業、同年4月三菱銀行に入行した。同年8月15日、17歳のとき、第二次世界大戦の終戦を迎える。1949年(昭和24年)、21歳の時、角筈のムーランルージュ新宿座へ歌手として入団し、芸能界入りした。1951年(昭和26年)のムーラン解散前後から、以前より付き合いのあった三木鶏郎の誘いでNHKラジオ第1『日曜娯楽版』に出演し、一躍全国区の歌手となった。1953年(昭和28年)、25歳の時、「NHK専属タレント第1号」となる。その後も、三木鶏郎グループの一員として、テレビ・ラジオ出演をこなし、『お笑い三人組』(ラジオ 1955年11月 - 1960年3月、テレビ 1957年 - 1966年3月)、『ひょっこりひょうたん島』(1964年 - 1969年)、『おはよう!こどもショー』(日本テレビ、1965年 - 1970年代)など、多数の番組に出演した。黒柳徹子らとともに「テレビ女優第1号」と呼ばれる一人となる。歌手としては、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場している(詳細は下記参照)。宮城まり子の『毒消しゃいらんかね』は、ラジオ放送では楠が歌っていたが、楠が当時レコード会社に所属していなかったので、同じトリローソングの歌い手だった宮城へお鉢が回ったもので、同曲で宮城は楠より早く、1954年(昭和29年)に『第5回NHK紅白歌合戦』に出場した。1958年(昭和33年)の『第9回NHK紅白歌合戦』では、当初番組側が楠を紅組司会に起用する予定だったが、当時は歌手兼司会が認められておらず、歌手としての出場を希望した楠がその打診を断った。1961年(昭和36年)4月3日、NHK『みんなのうた』放送開始の初回、楠の『誰も知らない』という曲が採用された。800曲とも1000曲とも言われるほどCMソングを吹き込み、「コマーシャルソングの女王」と呼ばれている。楠の代表曲である清酒黄桜CMソング『かっぱの唄』は、現在も時折放送されるロングランCM曲である。また、内外薬品・『ケロリン』のCMソング『青空晴れた空』は、1958年にシングル(SP盤)発売され、大ヒットした。現在はリメイクバージョンにはなったが、CMに使われている。2007年(平成19年)12月、キングレコードがかつてのLPレコードのアルバム『みんなが知ってるコマーシャル・ソング集』(1960年、キングレコード)のジャケットを再度ジャケットに採用、同アルバムを含む2枚組CDアルバム『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』を発売した。その後も全国各地の講演会やコンサートで歌声を披露している。など。

出典:wikipedia

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