高射砲(こうしゃほう)は、地上から航空機を攻撃するために作られた火砲。敵の弾着観測気球を狙い撃つため、プロイセン軍が使用したのが始まりである。大日本帝国海軍では高角砲(こうかくほう)と呼んだ。また日本語では低空で進入する敵機を攻撃する比較的小口径の機関砲を「対空砲」「高射機関砲」と呼ぶことも多いが、英語ではいずれもAnti-aircraft Cannonである。ドイツ語のFliegerabwehrkanone 由来の「FLAK」が英語圏でも多く使われる。1912年に普仏戦争で敵の弾着観測気球を狙い撃つため、クルップ社が開発してプロイセン軍が用いた軽量砲架の小口径砲がその祖形である。のち目標が気球から飛行機になり、航空機が高速化し飛行高度も高くなると、照準速度の向上や砲弾速度も求められるようになった。後には高射砲に加えて、高射装置がセットで運用されることが多くなった。高射装置とは射撃管制装置の一種で、目標航空機の「現在位置」「高さ」「速度」を測定して未来位置を計算して照準を行い、最大の効果が得られる時に砲弾を炸裂させるよう時限信管を調定する機械である。主に第二次世界大戦において、高々度から侵入する連合軍の戦略爆撃機から軍事施設あるいは人口密集地の都市を守るためにドイツ軍は対空射撃管制装置ウルツブルク・レーダーと高射砲を組み合わせ、有効な防空戦を展開した。高射砲弾は敵機の直撃を狙うのではなく、近くで空中爆発して飛散する破片により被害を与える一種の榴弾である。第二次大戦初期までは、発射後敵機の飛行高度に達する時間を計算して爆発させる時限信管が使用された。時限信管による射撃は精度が低かったが、のち信管が敵機との距離をセンサーで測定して爆発する近接信管が開発されると撃墜率が飛躍的に向上した。第二次大戦後は高々度を飛行する敵機を攻撃するためにはより効果的な地対空ミサイルが使用されるようになり、大口径の「高射砲」は消滅した。高々度を高速で飛行する航空機を射撃対象とするために、大仰角や、早い旋回速度などの特徴を持つ。また直線的な弾道を必要とし、高い初速を与えるため砲身が長い。また高射砲弾は発射火薬用の量が多く、その発射に耐えられる強靭な構造が必要であった。この特性は対戦車砲と共通するため、高射砲として開発された砲の多くがのち対戦車砲や戦車砲に流用された。また「対空砲」には二種類あり、高々度を飛行する大型機を攻撃する大口径砲と、地上の戦術目標を中・低空から攻撃する戦術爆撃機、ヘリコプター等を攻撃する小型機関砲がある。低空から侵入する敵機に対しては高射砲ほどの大きな射高や射程を必要とせず、多数の弾丸で弾幕を張ったほうが効果的だからである。高射砲の1個中隊は、7.5-12cmまでの高射砲を4門。高射砲1個連隊はおよそ4個大隊、1個大隊は2個中隊の編成である。前述のように、高射砲は高射装置などさまざまな機器と連係をとって対空戦を行う。以下のような装備が用いられた。戦闘艦艇への対空兵器の配備は比較的遅く、航空機が実用化された大正時代からとなる。当初は、偵察や弾着観測を行う少数の航空機の排除を想定していたため、高角砲を装備したのは艦体に余裕のある巡洋艦以上に限られていた。その数も単装砲を数基装備するのみであり、あくまで補助的な兵装という扱いであった。第二次世界大戦が始まると、戦闘艦艇の任務は戦前の想定に反して航空攻撃に対抗する対空戦闘が主となり、高角砲は近接戦闘用の機銃と併せて対空戦闘の主兵装として用いられた。そのため、大日本帝国海軍においても相対的に対空兵装が重視されるようになり、各艦は相次いで対空兵装の強化が行われた。この中には大和型戦艦の2隻、重巡洋艦の「摩耶」、軽巡洋艦の「五十鈴」や「夕張」のように対艦兵装の一部を撤去して高角砲または機銃に変えられた例も少なくない。また、新造艦においては駆逐艦以下の小型艦艇でも、秋月型駆逐艦や丁型駆逐艦、船団護衛用の海防艦など、高角砲を主兵装として搭載する艦が計画され、次々に戦線へ投入された。これら艦載の高角砲の一部は拠点において揚陸され、拠点防衛用の陸砲として用いられるものもあった。日本の敗戦により大日本帝国海軍が消滅すると、高角砲という呼称も消滅した。戦後、結成された海上自衛隊の護衛艦に搭載される砲熕兵器は多目的に用いられることが前提となっており、高角砲という呼称は用いられていない。
出典:wikipedia
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