藤岡 好明(ふじおか よしあき、1985年3月12日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する大阪府豊中市出身のプロ野球選手(投手)。宮崎日大高校を経て、JR九州へ入社。樋口龍美や町豪将など、先輩に好投手が多かったため、入社当初は公式戦への登板機会に恵まれなかった。樋口が中日ドラゴンズ、町がオリックス・バファローズへ入団したには、公式戦で主に救援へ起用。2人が成し得なかったチームの都市対抗野球大会準決勝進出に貢献した。JR九州での1年目からNPB球団のスカウトに素質を評価されていたことを背景に、2005年のプロ野球大学・社会人会議では、福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名。契約金3,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は40。には、新人選手から松田宣浩と共に開幕一軍入りを果たすと、3月26日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)で一軍デビュー。6回表2死満塁からの救援登板を無失点で切り抜けると、次の登板試合から8試合連続で無失点を記録するなど、セットアッパーとして活躍した。5月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、プロ入り初セーブを記録。一軍公式戦全体では、チームトップの62試合(当時のパシフィック・リーグ新人投手最多登板記録)に登板するとともに、リーグ2位の31ホールドポイントを記録した。さらに、速球主体のピッチングながら、シーズンを通して1本の本塁打も許さなかった。には、前年まで在籍していた吉武真太郎に代わる中継ぎ陣の柱として、開幕から一軍公式戦での登板を重ねた。しかし、5月時点の防御率が10点台に達したことに加えて、故障の影響で2ヶ月以上の戦線離脱を余儀なくされた。8月に一軍へ復帰してからは、公式戦23試合に登板。この間の自責点を4にとどめたことから、シーズン通算の防御率を4点台にまで持ち直した。には、公式戦開幕後の4月に、シーズン初の出場選手登録を果たした。登録当初の公式戦では中継ぎに起用されたが、5月16日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)から先発に転向。3度目の先発登板であった6月3日の横浜ベイスターズ戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)では、6回を2安打無失点という内容で先発投手としての初勝利を記録した。シーズン通算では、一軍公式戦14試合に先発。1年目に並ぶ自己最多の5勝を挙げた。には、先発投手として一軍公式戦3試合、中継ぎ投手として29試合に登板。中継ぎでは、主にビハインドの展開で登板しながら、防御率2.35、奪三振率10.33という好成績を残した。には、一軍公式戦での登板が5試合にまで減少。1勝を挙げたが、防御率は9点台で、先発投手としての登板機会はなかった。には、中継ぎ投手として一軍公式戦39試合に登板。防御率が過去最高の1.19を記録するなど、安定した成績を残したことから、シーズン終了後の契約交渉では前年から800万円増(2,800万円)で契約を更改した。には、中継ぎ投手として、シーズン序盤から一軍公式戦への登板を重ねていた。6月27日の全体練習中に体調不良を訴えたため、病院で診察を受けたところ、肝機能の低下が判明したため急遽入院。退院後も2ヶ月程度の安静を求められたため、そのままシーズンを終えた。2013年12月25日に、北海道日本ハムファイターズへの移籍が発表された。鶴岡慎也がFA権の行使によってソフトバンクへ移籍したことに伴う補償措置で、背番号は22。には、1月8日付でNPBから移籍を正式に公示。5月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)延長11回表に5番手投手として登板すると、1回を無失点に抑えた後に、チームのサヨナラ勝ちによって移籍後初勝利を挙げた。しかし、以降の登板は8試合にとどまった。には、一軍公式戦で6試合に登板。防御率は4.70で、勝敗は付かなかった。シーズン終了後の契約交渉では、翌の年俸に対して、野球協約で定められた減額制限を超える条件を適用することを球団から提示。結局、前年から1,200万円ダウンの推定年俸1,100万円で契約を更改した。には、移籍後初の開幕一軍登録を果たすと、公式戦1試合に救援で登板。3月30日には、対オリックスバファローズ戦前の練習(札幌ドーム)へ参加していた。しかし、練習後に登録を抹消されたうえで、球団幹部から横浜DeNAベイスターズへの移籍を通告。通告後には、金銭トレードによる移籍であることが、両球団から正式に発表された。日本ハムの栗山英樹監督は、「ウチ(日本ハム)も(手薄な一軍の救援要員として藤岡を)欲しいけれど、藤岡には(ソフトバンクからの入団以降)個人的に何にできなかったので、藤岡のために(日本ハムより登板の機会が多そうな)DeNAへ移籍させることを考えた」という表現で、苦渋の決断の末に緊急移籍へ至ったことを明かした。2016年4月1日に、DeNA球団が藤岡の入団記者会見を開催。その席で、背番号68を着用することが発表された。同月5日の出場選手登録を経て、翌6日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)から、救援で9試合に登板。2ホールド、防御率1.13を記録した。ところが、4月26日の対中日戦(横浜スタジアム)7回表の救援登板中に、右肩の違和感を訴えて降板。翌27日に登録を抹消されると、一軍へ復帰できないままレギュラーシーズンを終えた。チームがレギュラーシーズン3位で臨んだクライマックスシリーズの開幕直前からは、中継ぎの柱である須田幸太が故障で登板が危ぶまれていたことを背景に、一軍へ再び帯同。広島東洋カープとのファイナルステージ第4戦(10月14日・マツダスタジアム)2回裏に2番手投手として実戦復帰を果たすと、1イニングを無失点に抑えてシーズンを終えた。
出典:wikipedia
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