綿貫 佐民(わたぬき すけたみ、1896年4月 - 1950年9月7日)は、日本の政治家・実業家。元衆議院議員の綿貫民輔は長男。兵庫県三原郡賀集村の南家に生まれる。父は兵庫県議、自由民権家の南嘉五郎。日本電力社員として小牧ダム建設のため富山県井波町に入る。ダム建設反対運動のさなか、運動家たちとの接触を通じてダム反対派の中心メンバーの一人だった綿貫栄と知り合う。綿貫栄らが条件闘争派として反対運動からの分派行動をとる過程で親しくなり、綿貫栄の長女と結婚する。綿貫栄の長男が交通事故で亡くなったため婿として綿貫家に迎えられる。慶應義塾大学理財科卒。富山県議会議員を経て、1946年に衆議院議員に初当選。通算で2回の当選を果たした。日本自由党幹事、立憲政友会富山県支部幹事長、合同木材取締役、井波機業社長、金名鉄道社長などの要職を歴任した。
出典:wikipedia
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