『無法松の一生』(むほうまつのいっしょう)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。1938年(昭和13年)に『富島松五郎伝』の題名で脱稿し、『改造』の懸賞小説に応募して佳作入選した。翌1939年(昭和14年)に『九州文学』10月号に掲載、中央文壇の目にとまり、1940年(昭和15年)に『オール讀物』6月号に掲載され、第10、11回直木賞候補作となった(本賞受賞できず)。1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。1959年(昭和34年)、北九州市小倉区古船場町に「無法松の碑」が建てられた。映画はこれまでに4度製作された。特に名高いのは、伊丹万作脚本・稲垣浩監督の1943年版と1958年版の2作品である。1963年(昭和38年)4月28日公開。東映製作・配給。モノクロ、シネマスコープ、104分。1965年(昭和40年)7月14日公開。大映製作・配給。カラー、シネマスコープ、96分。1957年(昭和32年)7月23日から8月20日まで、NTVの『山一名作劇場』にて放送。全4回。1962年(昭和37年)3月5日から4月9日まで、フジテレビにて放送。全5回。脚本は池波正太郎。放送時間は月曜17:15 - 17:45(JST)と、唯一のノンプライムでの放送である。1962年(昭和37年)8月1日から8月29日まで、NHKの『浪曲ドラマ』にて放送。全4回。1964年(昭和39年)4月15日から7月8日まで、フジテレビにて放送。全13回。放送時間は水曜20:00 - 20:56(JST。前半部はNHK版と同時間)。この作品はCS放送ファミリー劇場に於いて比較的高頻度で放送されており、その際、出演者の一人でもあった柳澤愼一が解説役として出演している。また、この放送に於いてはリマスタリングが施され、セピア色の色調で放送される(これらの傾向は同じくファミリー劇場で放送される『戦国群盗伝』でも見られる)。尚、主演の南原宏治は後年、村田英雄を座長とする無法松の一生の舞台公演において吉岡大尉役も演じている。1942年(昭和17年)5月、文学座で原題のまま初演、以来『無法松の一生』の題で幾度となく舞台化された。新国劇では辰巳柳太郎の当たり役となった他、宝塚歌劇団、歌手の座長公演など多岐の団体で演じられている。1942年(昭和17年)5月初演。森本薫潤色・里見弴演出。出演は丸山定夫(無法松役)、杉村春子(良子役)、森雅之(吉岡大尉、熊吉役)など。1944年(昭和20年)に各地を巡演。出演は丸山定夫(無法松役)、園井恵子(吉岡良子役)、高山象三(吉岡小太郎役)など。1957年(昭和32年)に薄田研二主演・演出で全国を巡回公演。1964年(昭和39年)6月に水谷八重子舞台生活五十周年記念として上演。出演は大矢市次郎(松五郎役)、森雅之(吉岡大尉役)、阿部洋子(良子役)など。1976年(昭和51年)、映画で阪東妻三郎が演じた松五郎役を阪妻長男の田村高廣が好演し、『二代目阪東妻三郎襲名』が周囲から持ち上がったが高廣は固辞した。『永遠物語』(とわものがたり)のタイトルで脚本・演出を草野旦が担当、1982年(昭和57年)3月初演、再演は1988年(昭和63年)7月、三演が1998年(平成10年)7月。いずれも場所は宝塚バウホール、松五郎を榛名由梨が演じた。1998年に津嘉山正種主演で上演。商業演劇では村田英雄、小林旭、北島三郎、杉良太郎、五木ひろしらが、演劇と歌謡ショーの2本立てで公演。「無法松の一生」は1958年7月に発売された村田英雄のデビューシングル。一般的にはオリジナル版の「無法松の一生」よりも、同じく1958年7月に発売された「度胸千両」と併せた「無法松の一生〈度胸千両入り〉」として知られており、現在も多くの歌手にカバーされている。1981年には、村田の歌唱によって「無法松の一生〈度胸千両入り〉」が発売されている。たまたまラジオで村田の口演を聴いた古賀政男が村田を見出し、すでに映画や演劇で知られていた十八番の芸題(演目)であった浪曲である本楽曲を歌謡曲化し、村田は歌手デビューを果たした。従来、舞台と映画で知られていた「無法松の一生」を取り上げたのは、村田の師匠である酒井雲が浪曲界屈指の読書家であり『文芸浪曲』(文字の読み書きの出来ない人々にも文学に親しんでもらおうと考えだした芸題群の事)という浪曲のジャンルを確立し、この事を見習って村田も北九州の代表的な文学であった同作を取り上げた事と、文学界きっての偏屈者と噂された原作者の岩下俊作が浪曲ファンで浪曲化を承諾したといわれる。しかし、同年にセルフリバイバルと言える三船敏郎&高峰秀子主演の映画公開があったものの、ヒットに恵まれず(わずかに「人生劇場」のリバイバルヒットがあったのみ)NHK紅白歌合戦への出場も果たせずにいた。しかし、1962年に村田の「王将」がミリオンセラーの大ヒットとなると本楽曲も相乗効果でヒットし、村田の代表曲の一つになった。また、1975年の「第26回NHK紅白歌合戦」では、村田によって本楽曲が歌唱された。作詞の吉野夫二郎は浪曲作家として著名な人物で、村田他が出演していた『ラジオ連続浪曲』(文化放送)の構成を担当し、数多くの浪曲台本を手掛けた。
出典:wikipedia
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