野毛(のげ)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は野毛一丁目から野毛三丁目。2012年5月1日現在の人口は6,244人。郵便番号158-0092。世田谷区西部に位置し、玉川地域に属する。北で上野毛・中町・東で等々力、南東で玉堤、南西の多摩川河川敷及び多摩川を跨いだ先で川崎市高津区下野毛・北見方に接する。東急大井町線上野毛駅・等々力駅、東急田園都市線二子玉川駅が最寄。真言宗智山派善養寺には「善養寺のカヤ」と呼ばれるカヤの大木がある。東京都の天然記念物。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、野毛1-9-22の地点で48万5000円/mとなっている。野毛はもともと上野毛との対で下野毛村と呼ばれ、1889年に玉川村の大字下野毛となる。1912年に下野毛のうち多摩川右岸は神奈川県に編入された。1932年には世田谷区玉川野毛町とされ、1969年の住居表示改正により、現在の「野毛」となった。野毛大塚古墳は野毛一丁目の玉川野毛町公園内にある、丸子川沿いの荏原台古墳群を代表する古墳である。この古墳のみならず、周辺には多くの古墳が存在しており、帆立貝型の前方後円墳が特徴。東京都の史跡に指定されている。古く「ノゲ・ニゲ・ヌゲ・ナゲ」は「崖」を意味する言葉。当地が国分寺崖線にある事から「野毛」とされた。玉川野毛町公園と、そこに隣接する国土交通省住宅、都営住宅の敷地は、戦前、目黒蒲田電鉄の経営する「等々力ゴルフリンクス」というゴルフ場であった。等々力駅前のゴルフ橋はその名残である。1931年にオープンしたが、戦争の激化により1939年に政府に買収され、内務省防空研究所が置かれた。戦後、一部に引揚者住宅が建設された時期もあったが、その後、現状のように三分割されて今に至っている。なお国土交通省住宅は2.6ha(11棟)の大規模な団地であるが、再編成が決定し、2015年10月には居住者の移転が完了した。また都営住宅も2017年からの建替えが予定されている。野毛三丁目の第三京浜道路高架下に1950年創立の東急アバロン乗馬学校があった。民間としては戦後最初の名門クラブであったが、2000年に横浜市緑区に移転した。野毛三丁目の丸子川と多摩川堤防の間に、長さ200m、幅50から80m程度の明神池があった。大正期の築堤によって多摩川から取り残された池で、近所の子供の良い遊び場だったが、1961年に宅地開発で埋め立てられた。跡地に龍神祠が祭られている。東急バス停「明神池前」の由来である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。