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T-44

T-44(ロシア語:)は、ソビエト連邦で第二次世界大戦末期に開発され、冷戦時代初期にかけてソビエト連邦軍で使用された中戦車である。ソ連軍は、T-34を1940年に正式採用し、1941年から始まった独ソ戦で初めて実戦に投入した。T-34は当時としてはかなり先進的な戦車で、機動力、火力、防御力とも非常に優秀であり、ドイツ軍はいわゆる「T-34ショック」と呼ばれる大きな衝撃を受けた。しかし、配備数の少なさ、戦術の拙さや乗務員の練度の低さもあり、実力を発揮できずにソ連軍はモスクワ前面まで敗走する事となる。ミハイル・コーシュキン亡きあと、T-34の主任技師の座を引き継いでいたアレクサンドル・モロゾフは、T-34の発展型の設計に着手。1943年3月、ウラル戦車工場設計局においてT-43の試作を完成させた。T-43はT-34/43年型と78.5%の部品を共有しながら、砲搭装甲を前面90mm、側面75mmに強化し、T-34で不評だった2名用砲塔に換え新型の3名用砲塔を搭載した。装甲の強化で増えた重量の分、最大速度は48km/hに低下したが、サスペンションが従来のコイルスプリングを使ったクリスティー式ではなく、KV戦車と同じトーションバー式に変更され、走行性能そのものはT-34に勝っていた。これは3000km走行耐久比較試験でも、従来のクリスティー式に比べ優秀であることが証明されている。しかし、主砲は76.2mm戦車砲F-34をそのまま流用していた。1943年に一旦正式採用されることで内定したが、すでに陳腐化していた武装の新型戦車を正式採用することに異論が出たり、T-34の生産に支障が出る恐れがあることから、正式採用は見送られ、再設計が行われることになった。その代わり、T-43の砲塔をベースに改良し85mm戦車砲D-5Tを載せ、T-34に載せかえることで武装を強化し、T-34-85として生産が開始された。モロゾフは車体を再設計し、車体は履帯の上にスポンソン(張り出し)を設けない完全な箱型とし、傾斜した前面装甲は90mmもの厚さになった。また、エンジンもT-34のV-2ディーゼルエンジンを改良したV-44を搭載した。エンジン出力も向上し、横置きにすることで車体もコンパクトにまとめられ、重量も31.8tに抑え込まれた。砲塔はT-43に似てはいるが前後に長く装甲も厚い新型となり、主砲は85mm戦車砲ZIS-S-53を搭載した。車重がT-34-85より軽量で、車高も低いことから、機動力も良好で路上では最大50km/hを出すことができた。また車体前方機銃は固定式となり、前面装甲に空けられた穴から発砲され、これはT-54に受け継がれていく。この戦車は1943年7月、T-44として正式採用され、ドイツ軍から奪い返したハリコフ機関車工場で生産が行われた。大戦終了までに965輌が生産されたと言う。T-44 の特徴としてはであり、以降のソ連軍戦車の基本スタイルを備えていた。T-44は1947年まで約1,800輌が生産された。第二次世界大戦末期に生産が開始され、実戦配備されたT-44は実戦に投入されること無く、習熟訓練中に終戦を迎えた。その後も実戦に投入されることは無く、T-54が配備されると第二線部隊に配備されたり訓練用として使用された。T-44の開発当初、D-5TおよびZiS-S-53(ともに85mm戦車砲)搭載型と共にD-25-44T 122mm戦車砲を搭載したT-44-122が1944年初めに試作されたが、最初の試験で砲に故障が生じ、4月から5月にかけての試験でも搭載弾薬の少なさ(24発)など問題とされ、不採用となった。これら初期の試作車輌には、操縦手の視察用として対弾性に劣る古臭い直視型バイザーブロックが用いられている。T-44の武装は大戦末期には標準的なもので、すぐに陳腐化するのは明らかだった。そのため、生産開始とともにさらに強力なZiS-100またはLB-1(100mm戦車砲)を搭載する研究が始まった。しかし、試作されたT-34-100やT-44-100のように単純に主砲を交換するだけでは、100mm砲の反動をうまく車体で受け止めることができないことが判明し、砲塔を新設計するとともにターレットリング径を拡大して車体からはみ出す形となった。また、問題が多かったトランスミッションも新型が搭載され、履帯も変更された。この新砲塔の100mm戦車砲搭載型はT-44Vと呼ばれたが、すぐにT-54と改称された。T-54は1946年から試験的に部隊配備され、1950年に正式採用され、更にお椀型の新型砲塔に変更し大量生産されている。後にT-44はドイツ戦車のようなシュルツェンを実験装備したり、エンジンやトランスミッション系をT-54と同じ物に変更、'66年には砲安定装置を追加したT-44M又はT-44Sに改修された。その後、訓練車両として使われていた数十輌のT-44はソ連映画に度々姿を現し、T-44そのままの姿だけでなくドイツのティーガーI戦車やIV号戦車風の外見に改造されたものが、ソビエト映画「ヨーロッパの解放」「モスクワ大攻防戦」等に出演している。これはT-34より車高が低く、T-55に比べ砲塔が小さいため、よりドイツ戦車を模した外観への改造に適していたためと思われる。また、2000年代になってもロシア映画やヒストリカルイベントにも姿を現していることから、未だに稼動状態を保っている車両が残っているようである。T-44は時代を先取りする優れた車体構造にもかかわらず、登場した時点ですぐに陳腐化するのが確実な85mm砲を装備していた。その為、登場と同時に武装強化型であるT-54の配備までの繋ぎに甘んじることを宿命づけられていた。しかし、以降のソ連軍の主力戦車の車体はこれの発展型であり、戦車開発史上では非常に重要な位置を占める戦車である。

出典:wikipedia

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