鋳掛屋(いかけや)とは、鋳掛を行う職人のこと。鋳造された鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職業。鋳かけ、または「鋳鐵師」との表記もなされる。江戸時代から昭和期にかけての家財道具である鍋や釜は主に鋳鉄製であったが、当時の鋳造技術では鬆(ス)が入りやすく、また、ひび割れ等により穴が開くことがあった。その一方、「月夜に釜を抜かれる」といったことわざにみられるように、鍋釜を含む金属類は近代工業以前まで泥棒が真っ先に狙うほどの貴重品であった。したがって、穴が開いたとしても容易に捨てたり買い換えたりするわけにいかず、完全に使い物にならなくなるまで補修を繰り返しながら使っていたのである。これを請け負う修理業者が鋳掛屋である。。町中や村々を呼び巡り、声をかけられたら仕事をした。道具箱のなかにふいごを持参しているのが普通であった。融点の低い鋳鉄で鋳造された当時の鍋・釜の穴やひび割れを直すために鋳鉄片を溶融しうるだけの熱量は、この程度の簡易な装備でも確保しえたのである。語源は金属を「鋳て」(溶かして)「かける」から「いかけや」である。明治、大正時代までは鍋・釜の品質が向上しなかったので鋳掛屋商売も成り立っていたが、昭和期に入ると近代工業で大量生産されたプレス成型のアルミ鍋等が流通するようになり、これらは流しの鋳掛屋が簡単に補修できるものではなく、また価格の下落により敢えて修理する必要も感じられなくなり、急速に廃れてゆくことになる。ただし、鋳掛の技術そのものは現在でも必要とされ、小型の鐘、大釜などを片手間に鋳掛ける鋳造業者もある。上の川柳は、仕事を始めた鋳掛屋がいきなり煙草で一服するのをおかしがる内容。炉の温度が上がるまでは手持ち無沙汰のため、のっけから休憩のような光景がしばしばみられた。「すてっぺんから」とは「最初から」という意味。今日、鋳掛屋商売を見かけることは全くなくなったが、昭和40年代までは大阪の街中を「いかけ、鍋釜、バケツいか〜け」の売り声で商いをしていた。大阪弁では「夫婦仲良く外出する」という意味になっていた。文化年間(1804年-1818年)に夫婦のいかけ屋が人気を集めていたからだという。「今日は徳さんとこ、芝居行くンかいな。いかけ屋やなあ」という言い方をしていた。上方落語の演目「いかけ屋」でも、「鋳掛屋だけによくくっつくな」「鋳掛屋は鋳掛屋どうしくっつくな」などと子どもからからかわれている。
出典:wikipedia
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