株式会社 新潟総合テレビ(にいがたそうごうテレビ、"Niigata Sogo Television, Co., Ltd.")は、新潟県全域を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。略称はNST、コールサインはJONH-DTVで、フジテレビジョン(FNN・FNS)系列に属している。テレビ欄、EPG等では、「新潟 NST」及び「NST 新潟」および「NST 新潟総合」および「新潟総合」および「新潟総合テレビ」および「NST」および「NSTテレビ」と表記されている。現在のキャッチフレーズは、「Niigata Smile ТV(にいがたスマイルティービー)」(2014年4月から使用)。本社の郵便番号はNST専用。社用の他、視聴者プレゼントなど一般向けに使用している。2004年10月完成。立地的に「万代シテイ」に程近く、本社敷地内には万代シテイの駐車場がある。信濃川右岸(旧新潟鉄道管理局グラウンド跡)に位置し、付近には八千代橋がある。「長岡放送センター」跡地(後述)。同敷地内には、「駒形十吉記念美術館」があり、別棟のビルに長岡支社が入居している。長岡放送センターがあった時代は、本社機能だけでなく、スタジオも設けられていた。新潟市中央区八千代に移転後は解体され、現在は駐車場となっている。開局から1991年10月に新潟本社に移転・廃統合するまで、演奏所およびスタジオ機能として存在していた。新潟本社移転後に解体された後、1994年に「駒形十吉記念美術館」として開館。敷地内には、別棟で長岡支社の建物も設けられている。1968年12月16日開局。新潟県内で2局目の民間放送局で、県内初のUHFテレビ局である。新潟県に2局目の民放テレビ局のチャンネルプランが発表された際、フジテレビなどフジサンケイグループ、日本テレビなど読売新聞グループ、NETテレビ(現テレビ朝日)など朝日新聞グループをはじめ、複数の免許申請が出されたが調整により一本化され、3社が相乗りする形で会社を設立。トリプルクロスネットであったことから、社名には“総合”の名称がつけられた。なお、現在はフジテレビ系列のフルネット局のため、“総合”の意味合いはほとんどなくなった。複数の放送局申請を調整し設立の行司役を田中角栄がしたことから、設立時には本社は新潟市、演奏所スタジオは長岡市でスタートし、越後交通グループや田中真紀子ほか田中家一族らとも親密であった。さらにフジサンケイグループのネット局として設立され、また当時から現在に続くフジテレビのネット局である。社長には、当時新潟県経営者協会会長の桜井督三(北越製紙社長)が就任。4年後の1972年に大光相互銀行(現大光銀行)の会長だった駒形十吉が就いた。駒形は長年大光相互銀行の社長を務め、後に子息の斉に社長の座を譲り会長に退くが、大光は1979年秋に乱脈融資事件が発覚し強制捜査を受けることとなった。更にこれを巡って大幅な債務超過に陥っていることが発覚。1980年春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われたが、十吉のNST社長職については個人大株主であったこともありそのまま留任、1999年の死去直前まで実権を掌握し続けた。開局当初は「楽しいテレビNST」というキャッチフレーズを掲げ、PRを図った。また初のUHF局であったことから、開局前には県内各地で催事が行われる折に、VHFチューナのみを備えたテレビで視聴するためのUHFコンバーターの普及促進活動を行っていた。クロスネット当時は、上記3局に加えて東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組も購入して放送しており、実に4局の番組が混在する状態が続いていた。開局以後のNSTは、自社制作番組の割合が著しく低く、番組制作に関し、非常に消極的な姿勢を見せていた。事例として、トリプルクロスネットの頃は報道部が事実上機能していない時期もあった。その一方で、営業活動に非常に貪欲で、CM制作やコマーシャル収入で大きな収益を上げ、民放テレビ局の年収でも、ローカル局として上位を記録していたその後、1981年4月にテレビ新潟放送網が開局し、まず日本テレビ系列を離脱。1983年10月に、新潟テレビ21が開局してテレビ朝日系列も離脱し、フジテレビ系列のフルネット局となった。しかしNSTはそれ以後も、昼間や深夜時間帯にはフジテレビの番組よりもむしろテレビ東京の番組を主体とした編成体制を敷いていた。更にはフジテレビの日曜の競馬中継(現『みんなのKEIBA』)も、フルネット化以後も新潟放送からネットチェンジせず、なおも自社制作率は低いままであった。駒形氏の影響力が薄れた1990年代に入ってからは、まず1991年に長岡放送センター(長岡市)を本社(新潟市)に移転統合する。2000年代には自社制作率は徐々に上昇し、フジテレビの番組の遅れネットも減少。2000年には新潟競馬場開催の中継と『スーパー競馬』のネットを開始し、其の翌年には仙台放送製作の東北電力一社提供番組の放送権も新潟放送から移行した事で、長年の「腸捻転」(ネットワークのねじれ現象)がようやく解消。2004年には本社を新潟市中央区八千代に移転するなど、設備投資を積極的に行っている。2002年、新潟市中央区上所にあった本社の建物の老朽化と、後に開始される地上波デジタル放送におけるハイビジョン化を視野に入れ、現在の新社屋の建設を決定。新社屋は2004年10月に完成、2004年10月20日に本社の全機能を新社屋へ移転し、放送を開始している。この新社屋は全てハイビジョン放送に対応しており(県内では一番早かった)、省エネ設計の建築であるばかりか、屋上にはわずかだが太陽電池パネルまで取り付けられている。新社屋移転後、毎年10月には「NSTまつり」を開催している。2010年3月29日、地上波デジタル放送移行に先駆けて社名の通称名称の整理を目指し、呼称を「NST」に統一した。なお登記上の商号は改称せず、引き続き「新潟総合テレビ」を維持している。放送上では、フジテレビ系列番組(『FNS27時間テレビ』など)の表記は引き続き「新潟総合テレビ」を使用しているが、報道番組の制作協力、主催クレジットや新聞、テレビ欄などは「NST」と表記され、呼称する(但しFNSの日では系列局を紹介する際、「新潟総合テレビ」〈2014年以降は「新潟NST」〉と呼称する場合がある)。局のマスコットキャラクターは「ナシテ君」。他にガールフレンドとして「ドシテちゃん」、友達として「ロボッチョ君」がいる。いずれも、開局35周年である2003年に登場した。開局45周年を迎えた2013年12月には、ナシテ君とドシテちゃんの顔のデザインが変更された。『ユアタイム〜あなたの時間〜』などフジ系列全国ネットの最終ニュースのスポンサー全てがローカルスポンサー、またはネットスポンサーの一部とローカルスポンサーの混在のいずれかであること、それにフジ系列・テレ朝系列クロスネット局時代にネットしていた『ANNニュースファイナル』が、ネットスポンサーとローカルスポンサーが混在していたこと、およびフジ系列フルネット局化後も駒形が「この時間帯のスポンサーになってくれる地元企業を大切にしたい」との意向から、同時間帯のニュース番組の完全ネットスポンサー化を現在も辞退し続けているのは、その名残である。なお、ローカルスポンサーについては、提供読みで企業名の読み上げを要するスポンサー料が高額な企業となる場合が多い。また、現代美術収集家としても知られ、大光相互銀行やNSTの社内には「大光コレクション」と呼ばれる数多くの美術品が飾られていた他、大光相互銀行は長岡市内に美術館も持ち(長岡現代美術館)、一般にもこれらコレクションを公開していた。しかし乱脈融資事件をきっかけに経営危機に陥った大光相互銀行は、国や各地の金融機関から融資を受けるため現代美術館を閉鎖し、これら収蔵品の約半分を全国各地へ売却することとなった。その際、売却を免れた一部の作品は現在、同市の新潟県立近代美術館とNST長岡支社敷地内の放送センター跡地に建設した駒形十吉記念美術館に収蔵されている。企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:親局、中継局共、リモコン番号は8である。2011年7月24日停波時点NSTは会社の方針として、新潟県出身者や同県育ちの人材を数多く採用することで知られており、アナウンサーについても同様で、県内の民放テレビ局の中でその割合が最も高い。以下のリストには、現役のアナウンサーについて、新潟県出身者・育ちの人のみ、その地を記す。過去
出典:wikipedia
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