木場 昌雄(きば まさお、1974年9月6日 - )は、兵庫県南あわじ市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。滝川第二高校卒業後の1993年に松波正信ら共にJリーグ・ガンバ大阪に加入。G大阪には12年の長きに渡って所属し、2001年から2003年まではキャプテンも務めた。守備のユーティリティプレイヤーとしてセンターバック、ボランチなどのポジションでプレーし、J1リーグ戦223試合に出場した。2004年シーズンオフにガンバ大阪から戦力外通告を受け、2005年はJ2・アビスパ福岡に移籍したが、前年に手術した膝の状態が思わしくなく満足いくプレイができず、公式戦出場のないままシーズン途中に現役を引退した。2006年、Jリーグ昇格を目指していた北信越リーグのヴァリエンテ富山からのオファーを受け、コーチ兼選手として現役復帰。2007年5月にヴァリエンテ富山を退団し、6月に関西リーグのFC Mi-O びわこへ移籍した。Mi-OではクラブはJFL昇格を果たしたものの、自身は出場機会に恵まれず、それが現役続行への意欲につながったという。2008年、タイ・プレミアリーグのカスタムズ・デパートメントFC()に移籍。タイには2001年から毎年自主トレで訪れており、以前より同国でのプレーに関心を持っていたという。カスタムズでのプレーは3シーズンに及び、最終シーズンは1試合を除く全試合に出場した。2010年8月1日、自身のブログにおいて同シーズン終了をもって、サッカー選手を「卒業」(事実上の引退)することを発表した。2010年10月に現役を引退。今後は指導者を目指す傍ら、サッカー解説者(スカイ・エー「インテル・ミラノ チャンネル」他)を行う。2011年9月、東南アジアサッカーの発展、東南アジア初のJリーガー誕生を目標として「一般社団法人 Japan Dream Football Association (JDFA)」を設立、代表理事となる。2012年6月5日、Jリーグのアジア戦略の一環として創設された「Jリーグ・アジアアンバサダー」に、丸山良明とともに就任。ユース経歴プロ経歴223||1||37||0||24||0||284||10||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||0||06||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||6||013||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||13||03||0||colspan="2"|-||0||0||3||0309||1||39||0||24||0||372||1
出典:wikipedia
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