中川部屋(なかがわべや)は、かつて存在した相撲部屋。大正年間に雷部屋の元幕内鬼鹿毛清七が独立して創設、幕内綾鬼喜一郎らを育て、中堅部屋としてあったが、昭和6年(1931年)1月に死去、力士たちは一門の幕下鴨緑江渡右エ門の武蔵川部屋に引き取られた。この中に、後に幕内力士となった三熊山美夫がいた。その後、中川の名跡は立浪系に移り、立浪部屋の元幕内吉野山要治郎が昭和12年(1937年)5月から昭和22年(1947年)6月まで、同じく立浪部屋の元幕内清恵波清隆が昭和35年(1960年)5月から昭和48年(1973年)3月まで部屋を経営したが、いずれも関取をだせずに終わった。
出典:wikipedia
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