福田 明彦(ふくだ あきひこ、1964年1月14日- 、O型)は、日本のプロレスのレフェリー。群馬県前橋市出身。プロレスリング・ノア所属で、ノア旗揚げ後は三沢光晴社長(当時)の秘書も兼務していた。小学生の頃から父親の影響でプロレスファンとなり、主に全日本プロレスを見ていた。前橋育英高等学校 時代から全日本プロレスのリングスタッフを手伝うようになる。プロレス団体に入れなくても、カメラマンとしてプロレスに携わることができるようにと、1982年の高校卒業後は上京して写真関連の専門学校に入学。しかし約4ヶ月で通うのを辞め、全日本プロレスのリングスタッフにアルバイトで入り、巡業に参加するようになった。1983年1月、欠員が出たため晴れて全日本プロレスに入社し、リング作り、売店の売り子、テレビ放映時以外の音響を担当する。1987年3月、ジャパンプロレス勢の離脱に伴いタイガー服部も抜けたため、レフェリーがジョー樋口と和田京平の2人だけとなった。3月31日、ジャイアント馬場にレフェリー転向を打診され、和田の勧めもあって受け入れる。そのまま、同日の富山県魚津市総合体育館大会における渕正信vs川田利明戦でデビューした。2000年6月、三沢光晴らとともに全日本プロレスを離脱し、プロレスリング・ノアの旗揚げにレフェリーとして参加。旗揚げ後、三沢の下で8年間社長秘書を兼務した。2012年2月26日のグリーンドーム前橋サブアリーナ大会ではレフェリー25周年記念セレモニーが行われ、実父と田上明社長から花束が贈呈された。プロレスリング・ノア所属のレフェリーの中では最もキャリアが長く、主にセミファイナルの試合のレフェリングを担当している。巡業部長の役職に就き、2014年現在はレフェリーの他に選手バスの運転手、グッズ売店の責任者、リングスタッフの補助などを務め、巡業に全戦帯同している。
出典:wikipedia
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