大久保 正陽(おおくぼ まさあき、1935年8月23日 - )は、日本の元騎手(日本中央競馬会)、元調教師(日本中央競馬会)。父の大久保亀治(亀吉)は、尾形藤吉門下の元騎手・元調教師。祖父の大久保福松は函館大経の弟子。弟の大久保光康も元騎手・元調教師(日本中央競馬会)。子の大久保龍志は現在も開業中の調教師(日本中央競馬会)。美浦所属の調教師大久保洋吉も親戚にあたる。北海道函館市生まれ。騎手見習い、騎手候補生を経て1957年に父・大久保亀治の厩舎所属の騎手となる。なお1954年4月に立命館大学法学部に入学し、夜に通学しながら騎乗を続ける生活を両立させ、学士号を取得している。現役時代は、騎乗数は少ないものの、ヘリオスで京都記念2勝のほか阪神大賞典を勝利するなどした。また繋駕速歩競走の騎手としても数多く騎乗した。1970年2月に騎手を引退して同厩舎の調教助手となり、1971年に調教師免許を取得。1972年に父が死去した為、厩舎を引き継いだ。2006年2月28日に定年により調教師を引退。調教師としては、ときに競馬における常識に挑戦するような競走馬の使い方をすることで知られ、史上初の「障害帰りのGI馬」となったメジロパーマーや、「中央競馬の全競馬場で重賞に出走する」という珍記録を達成したヤマノシラギクを管理したことで有名。また三冠馬・ナリタブライアンに対しても、6歳(旧馬齢)時に天皇賞(春)(3200メートル)の次走として高松宮杯(1200メートル)に出走させたことから、距離適性などの面からマスコミとの間で論争を呼んだ(詳しくはナリタブライアン#調教師とマスコミとの対立を参照)。なお、同様の例は、1976年の天皇賞春を勝ったエリモジョージを、同年夏の札幌競馬場で行われた短距離ステークスに出走させたこともある。※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。