習志野台(ならしのだい)は、千葉県船橋市にある地名。現行行政地名は習志野台一丁目から八丁目。住民基本台帳による当地域の人口は、35,897人(2009年2月1日現在)。この辺りはかつて大和田原と呼ばれていたが、明治天皇により習志野原と命名され、陸軍習志野錬兵場が置かれていた場所であった。戦後は、習志野台団地を中心として開発が進んでいった。戦後間もない頃は「北習志野」または単に「習志野原」と呼ばれていた。新京成電鉄新京成線高根木戸駅・北習志野駅・習志野駅(全て北西~南西地域)があるなど交通の利便性が良く、さらに範囲が非常に広い事も相まって現在は3万人以上の住人が暮らしている。特に北習志野駅前には団地と商店街があり、一層の賑わいを見せている。1996年(平成8年)、東葉高速鉄道東葉高速線北習志野駅(西)と船橋日大前駅(東)が開業し、東部の住人や日大関係の人の利用も増え利便性はさらに増した。また、南西の西習志野と七林町に挟まれた場所に飛び地がある(四丁目の一部・住居表示外)。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、習志野台2-66-11の地点で17万1000円/mとなっている。町名としての「習志野台」は1967年(昭和42年)11月1日付で誕生した。前述の習志野台団地の造成を機に、それまでの習志野町1〜5丁目の国道296号以北に古和釜町・坪井町の一部を加えた地域について、習志野台一〜八丁目が設定された。1972年(昭和47年)5月1日付で改めて住居表示を実施。この際新京成線より西側の大半は「西習志野一〜四丁目」として分離。習志野台一丁目の高根台団地寄りの一部地域は、翌年1973年(昭和48年)3月1日付で「高根台六・七丁目」として分離の上、やや遅れて住居表示が実施された。こうして、現行の習志野台一〜八丁目の区域が確定。船橋市北東部の中心であるため、施設は多い。また商業施設も多めである。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。