メルヴィン・マヌーフ(Melvin Manhoef、1976年5月11日 - )は、オランダの男性総合格闘家、キックボクサー。スリナム共和国パラマリボ出身。ショータイム/マイクスジム所属。元Cage Rage世界ライトヘビー級王者。総合格闘家としてデビュー。数年後にはキックボクシングにも参戦し始めた。以前はオランダ現地の発音に近いメルヴィン・マンフーフと表記されていたが、現在では「マヌーフ」が日本国内では一般的となっている。2005年9月10日、Cage Rage 13の世界ライトヘビー級王座決定戦でファビオ・ピエモンテと対戦し、パンチでKO勝ち収め王座獲得に成功した。2006年3月15日、HERO'Sにて大山峻護と対戦。打撃連打で大山を出血させ、1RTKO勝ち。2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAMで開催されたEUROPE GP1回戦で富平辰文と対戦。一方的に攻め続けてダウンを2度奪い1RKO勝ち。左手を負傷したため、準決勝を棄権した。2006年8月5日、HERO'Sライトヘビー級(-85kg)世界最強王者決定トーナメント準々決勝でクラウスレイ・グレイシーと対戦、グラウンドパンチの連打で1RTKO勝ち。試合後、「今日の試合は満足していない。急に対戦相手が変わり良いパフォーマンスが出来なかった。試合は1人の力ではなく2人の力で良いものにしていくものだ。決勝の相手は誰になるかわからないが、もっと練習して皆を沸かせる試合をしたい」とコメントした。2006年10月9日、HERO'Sライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント準決勝で大山峻護と再戦し、パンチの連打によりKO勝利。続く決勝戦では秋山成勲と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。王座獲得を逃す。試合後、「相手が道衣を着ていたのでやり辛かった。対策はしてきたつもりだったが、腕が道衣に引っかかって抜けなかった。打撃で攻めるゲームプランで、もっと間合いを取りながら戦えばよかった。相手の作戦勝ちだ」とコメントした。2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 決勝戦のリザーブファイトでレイ・セフォーと対戦。ローやハイキックで攻め続けるもセフォーの右フックでダウンを奪われ、1RKO負け。2007年3月12日、HERO'Sにて高橋義生と対戦、パウンドで1RTKO勝ち。2007年6月2日、Dynamite!! USAでユン・ドンシクと対戦。1R、打撃で猛攻するマヌーフ、それを掻い潜り関節を仕掛けるドンシクという攻防であったが、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負け。2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでルスラン・カラエフと対戦。開始早々に左フックを浴びせ、31秒でKO勝ち。カラエフは失神しておりしばらく立ち上がれなかった。2007年7月16日、HERO'Sでベルナール・アッカと対戦し、1R左フックでKO勝ち。この試合は、ユン・ドンシクに代わる緊急参戦となった。9月17日、HERO'Sで7月に挑戦状を叩きつけられたファビオ・シウバとの対戦では、左右のフックでダウンを奪い、パウンドで追撃しTKO勝ちを収めた。試合前日に新宿ステーションスクエアで行われた公開記者会見では額を付けての激しい睨み合いになり、最後には胸を突き飛ばし乱闘寸前となるトラブルを起こしていた。2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で西島洋介と対戦。スタンドでの攻防の中テイクダウンでグラウンドに持ち込むとマウントポジションを取り、マウントパンチでKO勝ち。2008年5月11日、DREAM初参戦となったDREAM.3のミドル級グランプリリザーブマッチでキム・デウォンと対戦し、グラウンドでの頭部への膝蹴りによりTKO勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦で桜庭和志と対戦し、TKO勝ち。9月23日、DREAM.6の準決勝でゲガール・ムサシと対戦し、三角絞めで一本負け。2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALのリザーブファイトに出場し、ポール・スロウィンスキーに左フックでKO勝ちを収めた。2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜で40kg以上体重差があるマーク・ハントと対戦し、開始18秒に右フックでダウンを奪い、パウンドの連打でKO勝ちを収めた。ハントと対戦予定であったジェロム・レ・バンナのインフルエンザによる欠場で、試合数日前に元々この大会に直前まで参戦予定選手であったマヌーフの代理出場が発表された。2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAの第2代K-1ヘビー級王者決定トーナメントに出場。1回戦で前田慶次郎にカウンターの右フックを受けKO負け。引退を示唆するコメントを試合後に語った。2009年5月16日、IT'S SHOWTIMEにてステファン・レコと対戦。1・2Rとレコのスピードとテクニックに苦しみ打撃を当てられず厳しい展開となるが、3R途中にレコがステップを踏んでいる最中に特に何も無いシーンで突然足を痛めてしまい試合が中断。左足を地面に付けることができなくなり試合続行不可能となったため、マヌーフは思わぬ形でTKO勝利を得ることとなった。2009年7月20日、DREAM.10でパウロ・フィリオと対戦。序盤フィリオを攻めたが、タックルに捕まり腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫した。2009年8月11日、K-1 WORLD GP 2009 IN TOKYOで行われたFINAL16 QUALIFYING GPに出場し、1回戦でラマザン・ラマザノフにKO勝ちするも、右足裂傷のため準決勝を棄権した。9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16に推薦枠で出場。昨年の王者レミー・ボンヤスキーと対戦し判定負け。2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で三崎和雄と対戦し、打撃でダウンを奪い、パウンドでTKO勝ちを収めた。ただし、フックが1発当たり三崎がダウンしているものの三崎は大きなダメージを受けておらず、すぐに立ち上がった三崎は審判に猛抗議。別角度のスロー映像を見ても審判がパンチが当たった瞬間から猛ダッシュして勢いで試合を止めているため、この試合はストップが速すぎたという声もある。2010年1月30日、Strikeforce初参戦となった「」でロビー・ローラーと対戦。パンチの連打とローキックでローラーを優勢に攻めていくが、腕が下がり顔面が空いた瞬間をローラーに狙われ、カウンターの右フックを受けダウンし、続けざまのパウンドでKO負けを喫した。2010年5月29日、IT'S SHOWTIME95kg級タイトルマッチでタイロン・スポーンと対戦予定だったが、スポーン欠場のためグーカン・サキと無差別級で対戦し、KO負け。2010年7月10日、DREAM.15のライトヘビー級王座挑戦者決定戦で水野竜也と対戦し、序盤打撃で優位に攻めるが途中水野にテイクダウンを奪われる。その後、水野にパンチでダウンを奪われ、グラウンド状態からのアームロックで一本負け。2012年3月31日、ONE FC 3で中西良行と対戦。1R2分過ぎに両者の足から出血が見られドクターチェックが行われる。マヌーフは脛がパックリと割れており出血が見られ、中西も膝から出血。その結果、ドクターが両者試合続行不能という判断を下して試合をストップしたため、この試合はノーコンテストとなった。2012年9月15日、ROAD FC 9でキム・ジェヨンと対戦し、2-1の判定勝ち。2012年12月31日、DREAM.18 & GLORY 4でデニス・カーンと対戦、カーンがマヌーフをラッシュで攻め立てるが、その際にマヌーフが膝蹴りを腹部に打ち、それを受けたカーンが倒れTKO勝ちを収めた。2013年4月5日、ONE FC 8にてブロック・ラーソンと対戦し、3R判定負け。1・2Rと間合いの取り合いでお互いがほとんど手を出さないため、2Rには両者にイエローカードが提示される。2R終了前にはマヌーフをテイクダウンしたラーソンが腕挫十字固を仕掛け極まりかけたが、マヌーフはゴングに救われる形となった。3Rはグラウンドでパウンドを受け続ける展開となり、判定負けを喫した。2013年6月8日、KSW 23にてマメッド・ハリドヴと対戦し、1R一本負け。1Rに打撃の展開のあと、ハリドヴのタックルを受けて立ち上がるがその際にハリドヴに首を取られギロチンチョークで一本負けを喫した。2016年5月20日、Bellator 155の世界ミドル級タイトルマッチでハファエル・カルバーリョと対戦し、1-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。「俺は殴りあいを愛している」と公言し、そのファイトスタイルから「カニバル(人食い)」「猛獣」「欧州の狂拳」、「人食いマヌーフ」などのニックネームで呼ばれている。異様な気性の荒さから、2003年頃まではプロの格闘家でありながら朝から晩まで喧嘩に明け暮れていた。何度も警察に逮捕されて刑務所に入っており、見かねた警察はマヌーフの出所後も足首にGPS(衛星利用測位システム)を付けて監視し続けたほどであった。ミドル級の体格でありながらヘビー級契約の試合もこなし、キックボクシングやK-1ルールの試合にも参戦している。K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会ではレミー・ボンヤスキーとも対戦、ダウンを奪われるまでは肉薄した戦いを見せていた。そのボンヤスキー戦の後にも犯罪を起こして逮捕されていたが、ボンヤスキーがK-1王者になったのを刑務所の中で知り、2004年の出所後は更生して練習に打ち込む一方、ジムで練習している子供達の模範となるべく努力を重ねており、問題児が集まったグループの更生にも取り組んでいる。マヌーフはボンヤスキーとの初対戦が自分の人生の分岐点となったと語っている。またオランダ国内でキックボクシングを習っている子供達のため自ら大会を開いている。
出典:wikipedia
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