『大刀』(だいかたな、Daikatana)は、によって開発され、2000年5月23日にアイドス・インタラクティブによって発売されたファーストパーソン・シューティングゲーム。リリースに先行した高い商業的期待とは裏腹に、コストや度重なる延期、発売当時としては出来が悪いゲームとして有名になってしまった。プラットフォームはWindows、ゲームボーイカラー、およびNINTENDO64に対応。PlayStation版の開発は中止になった。時代設定は西暦2455年。舞台は日本で、ヒロ・ミヤモトと呼ばれる宮本茂をモチーフにした男が、剣術道場を開いて日々練習をしているところから始まる。世の中は荒廃し、致死率の高いMMPウイルスが貧困層に蔓延している(富裕層はワクチンによって助かっている)暗黒時代。ヒロは銃器の扱いや物理学、哲学に長けていたが、何故かこの遠未来に剣術道場を開いている。そこへ一人の老人、トシロウ・エビハラと名乗る男が現れる。彼は、今世界で流行っているMMPウイルスのワクチンを完成させたのは自分の一族だと言うのだが、実際この世界でウイルスに対抗するワクチンを作ったのはカゲ・ミシマということになっており、それが理由で政権を握っている。トシロウが言うには、一時は自分がその功が認められ、富と名声を得、その資金を伝説の宝刀“大刀”の発掘に費やし発見することに成功したという。その大刀には時空を超えて旅をすることが出来るという秘めた能力を持っており、エビハラ一族にとっては魅力的なものであった。しかし、ある日のこと。その大刀がカゲ・ミシマによって盗まれ、その刀に秘められた能力を悪用し、昔に戻ってワクチンを開発したように見せかけ、それによってエビハラ一族は富と名声を失い、現在に至っているという。そして現在、トシロウはそのウイルスに感染し、死を待つ身となってしまった。そしてその一切を聞かされた娘、ミキコ・エビハラは怒りを露にし、単身カゲ・ミシマの基地に行き、復讐をしようとしたがあえなく拘束され、今も監禁されているという。そこでトシロウは、あらゆる能力に長けているヒロに、ミキコを救出し大刀を奪い返して欲しいと懇願する。しかしその後、トシロウはやってきた謀反者に暗殺されてしまう。ヒロはその遺志を継ぎ、単身カゲ・ミシマの要塞に赴くことにした。大刀のことについては日本の戦国時代にまで遡る。戦国時代、ミシマ・オオサカという戦国武将が強大な勢力を誇っていた。他の勢力は対抗するのを避け、唯一楯突くのはエビハラ・インシロウと呼ばれる武将だけであった。それに憤慨したオオサカは名鍛冶師、ミヤモト・ウサギと呼ばれるヒロ・ミヤモトの先祖に刀を作ることを要請する。ウサギはそれを承諾し、伝説の宝刀である大刀を作り上げる。しかし、最初からあまりオオサカに肯定的でなかったウサギは、遂にオオサカを裏切り、オオサカと対立するインシロウに大刀を託し、オオサカの打倒を懇願する。インシロウは二つ返事で承諾し、ウサギから託された刀を駆使し、見事オオサカの打倒に成功する。しかしインシロウは、その刀の持つ強大な力に魅了され、本来ならばウサギに返すと約束した筈なのだがそれを破り返却しなかった。これに怒りを覚えたウサギは、インシロウから強引に大刀を取り返し、それを火山の中に投げ入れた。その後、ウサギはインシロウに殺された。大刀は4つのエピソードに分かれ、合計24のマップがある。4つのエピソードは、遠未来の日本の京都、紀元前の神話が形成されたギリシャ、疫病が流行した暗黒時代のノルウェー、近未来のサンフランシスコと時代も場所も異なるエピソードである。後に修正パッチのバージョン1.2がインターネット上でダウンロードできるようになった。これは上記の不具合を極力修正し、セーブジェムの概念を無くし(無限にセーブが出来るようになった)、サイドキックが本来ならば使えない無限回復装置“Hosportal”を使えるようになった。パッチはアメリカ、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリア、フランスの圏内で発売されたもののみ適用可能で、その他の国で発売されたものに関してはパッチが無く不安定の状態でプレイしなくてはならなかった(ロシア語版や中文版など)。日本語版に関しては、一応バージョン1.1相当の修正はされている。しかし正式な1.1相当の修正ではないので、数々の問題を抱えている。例えば、セーブジェムの概念が残されていて無限セーブが出来なかったり(通常の1.1であれば無限セーブ可能)、マルチプレイをやろうにもバージョン違いで他国のサーバへの接続が不可能であったり等。大刀では、経験値の概念がある。これは敵を倒した際に得られ、一定の経験値を得た場合に用意されているステータスに任意に割り振ることが出来る。最大レベルはそれぞれ5で、各エピソードによって上げられるレベルは決まっている。京都2、ギリシャ3、ノルウェー4、サンフランシスコ5。発売時はMplayerと呼ばれる、ゲームにおけるネットプレイをサポートするサーバを提供する会社が存在していたが、やがて有料化しその後会社が無くなったので現状ではプレイ不可能である、サーバも同様にサービスが終了している。このゲームのデザイナーであるジョン・ロメロ()は、かつてid SoftwareでDOOMやQuakeなどの開発に携わっていた人物である。彼は自身の野心の実現化のためと、ジョン・D・カーマックとの軋轢からid Softwareを辞め、すぐにという会社を創り、そしてその会社の最初の作品として大刀の宣伝を大規模かつ積極的に行った。当時のタイム誌は、「元id Softwareのゲームデザイナー、ジョン・ロメロが心血注いで作る期待の大作」等と、ロメロに期待を寄せ大々的にその記事を取り上げた。また、同じid Software出身で、主にビジネス上の仕事をしていたマイク・ウイルソン(Mike Willson)がIon Stormの社長を務め、この大刀に期待を寄せてかなり印象付ける広告を作った。それは赤の背景に黒文字で“John Romero's about to make you his bitch(ジョン・ロメロがお前を雌犬にするぞ)”や“Suck It Down(しゃぶれ)”などと書かれている、あまりにも公序良俗に反するものであった。この広告は、大刀に期待をしていた人達の大きな衝撃をもたらした。「クールだ」と評価する者もいたが、大半はロメロに対して反感を持つようになってしまった。そして当時ゲームが発売されていないにもかかわらず、期待していた人達は次々と大刀に興味を示さなくなっていった。しかしロメロはそのようなことは露知らず、かつてid Software時代に稼いだ多額の資金をIon Stormのオフィスの資金(オフィスは当時ダラスの超高層ビルの最上階に存在し、数百万ドルという家賃)や開発費、食べ物や趣味(フェラーリを乗り回すこと)などに充て、世間では考えられないような“豪華”な制作活動を行っていた。また、当時としては珍しい女性ゲーマーでアメリカのPLAYBOY誌でグラビアモデルとして活躍していたスティービー・ケース()がロメロによって雇われ、レベルデザイナーとして大刀の開発に携わせた。そのことは雑誌やメディアなどで“ジョン・ロメロの恋人”として大きく報じられた。そのようなロメロの態度に社長を務めていたマイク・ウィルソンは激怒し、Ion Stormの社長を辞め、社内で同じ考えを持つ者をと共に新しいゲーム製作会社を設立する(後にバンドであるキッスを題材にしたファーストパーソン・シューティングゲーム、Kiss:Psycho Circus The Nightmare Childrenを発表。)これらの問題もあってか、ロメロが1997年以内に発売すると公言した大刀は、最終的に2000年にまで発売日がずれ込んでしまった。その4年間の間、ハーフライフ、UnrealおよびUnreal Tournament、Quake III Arena等の高度なグラフィックや人工知能、ゲーム内容の面白さを持ったゲームが次々と発表され、Quake IIエンジンを使って作られた大刀はもはや時代遅れであった。発売された後も、上記に述べたようなサイドキックの不出来さ、セーブする際にセーブジェムというアイテムが必要だということ、バグの多さなどからゲーム評論家からは多めに見ても“平凡かそれ以下”という評価を受けた。その失敗を埋め合わせするためか、大刀は世界中に20万本以上を出荷し、とりあえず掛かった制作費などの埋め合わせは済んだ。現在ロメロは、Gazillion Entertainmentという会社を共同設立しMarvel Heroes 2015などのゲーム開発を行っている。ロメロが大刀の構想を発表したのが1997年の3月である。その内容とは、というものであった。ゲームのエンジンは使い慣れているQuakeエンジンを起用するとのこと。スタッフは少なかったものの、かつてQuakeを製作した際、僅か9人のチームでしかも6ヶ月で完成させたので、この大刀も8人でクリスマスまでには完成出来ると思っていた。この考えに、当時ジョン・カーマックは「性質の悪い冗談だろう」とインタビューに答えている。これはジョン・ロメロが自分のスタッフの力量を知らずに、安易な発想で公言したからだと思われる(スタッフの7割は潰れた元7th Levelという平面RTS(リアルタイムストラテジー)制作会社の社員であり、QuakeのようなFPS系のゲームを作った経験がなかった)。その上先述の経緯から、Doom製作を支えた「もう一人の天才」ジョン・カーマックの助力も望めない状態だった。Ion Stormは97年の6月のE3(Electronic Entertainment Expo)で、大刀のゲームプレイデモを発表した。しかし、そのグラフィックはソフトウェアレンダリングで時代遅れの感が否めず、あまり印象的なものではなかった。一方、id SoftwareはQuake IIを携えてE3に発表しに来ていた。Quake IIは当時は高度なグラフィックを持つゲームとして話題を呼んだ。これを受けてロメロはスタッフの技量が劣っていることを悟る。そして当初の発売予定日だったクリスマスを過ぎると、ロメロは思い切って大刀のグラフィックエンジンをQuakeエンジンからQuake IIエンジンに切り替えることを発表。発売は1998年に変更することにした。Quake IIが発売された後、ロメロはid SoftwareからQuake IIのエンジンを受け取り、大刀の作り直しに取り掛かった。最初はQuakeの発展系だから新しいエンジンに慣れるのもそう難しくはないだろうと思っていたようだが実際はQuake IIと従来のQuakeはソースコードが全く違い、エンジンを切り替える事はそう容易ではないと分かった。そのため、ジョン・ロメロと彼のチームはQuake IIエンジンのソースコードに慣れるまで約11ヶ月もの歳月を要することになった。98年頃から、Ion Storm内部の士気が低下し始めた。上記に述べたロメロの件もあるが、7th Level出身のトッド・ポーター()が元7th Levelの社員を強引にIon Stormに引き入れ、そのため開発費も日増しに増えていくようになったのが原因である。更に、その膨大な資金にあやかって、ポーターは7th Levelで開発を断念していたRTSゲームであるの製作を強引に推し進めた。こんなことが出来たのは、言うまでも無くポーターが会社の上役になっていたからである。そしてDominionが発売にいたるが、RTS系のゲームとしては今では伝説的とも言えるスタークラフトがDominionの発売日と同じ日にデモをリリースしたせいもあり(その結果ドミニオンはあらゆる側面でスタークラフトのデモと比較された)多くのメディアから出来の悪いグラフィック、ゲームシステムおよびストーリーに関して(要するに全て悪かった)酷評の嵐を受け取った。このゲームソフトは最終的に6000本以下しか売れず、これが当初期待を集めていたIon Stormの看板に傷を付けたのは言うまでもない。Ion Stormは1999年の1月までには、なんとかQuake IIエンジンの扱いにも慣れてきていた。そのためか、「2月15日に製品版を発売する」という発表をした。この日程はずれたものの、3月にゲームのデモがリリースされた。しかしそれはモンスターや敵兵士は一切出て来ず、マルチプレイのみのデモであった。しかもその内容はDeathmatchだけという、まるでエンジンが動くかどうかのサンプルでゲーム性は皆無というようなものであった。そのためか、デモを待ち望んでいたファンは大いに落胆した。デモが失敗だったと認識したIon Stormは、次なるE3に向けて新たなデモ版の開発に取り掛かった。それは今まで平坦なマップだったのを、地面に高低などのリアルさを付け、フレームレートを12まで上げることに成功した(ちなみに、ファーストパーソン・シューティングゲームにおいてフレームレートは最低30は必要)。しかし開発が長引いたのか、スポンサーのアイドスはIon Stormに2500万ドルもの大金を融資し、Ion Stormと揉めていた。アイドスはDominionの失敗も兼ねてIon Stormの株を強引に取得し、Ion Stormを傘下においた。そしてDominionの失敗や、数々のスキャンダル(電子メールによる内部告発。ポーターが放漫な態度で開発者を見下していたり、自分の地位を自慢したり、Dominionや大刀の売り上げ本数の安易な予想をしたりしたこと)を踏まえてポーターともう一人“”という人物(社内の軋轢を生んだ元凶と思われる人物)を解雇した。1999年の12月17日には大体完成はしていたので、あとは数々のバグや、サイドキックの人工知能の修正、バランス調整などの補修のみとなった。しかし、それらの補修は当時のスタッフのレベルでは容易に修復することが困難であった。しかもそこにアイドスからの圧力が掛かり、すぐに発表せざるを得ない状況まで追い込まれていた。そして2000年4月21日に、大刀は正式なデモ版を発表、5月23日に製品版を発表した。1997年当時、ロメロは多額な資金を蓄えていたため大刀の製作の他に、新たにデザイナーやプログラマーを雇うことにも専念していた。そしてその中に、かつてSystem Shockを開発し大ヒットを飛ばした、のウォーレン・スペクター()がいた。彼はLooking Glassの解散後、新たに小さな会社を立ち上げてスポンサーを探していたが、ロメロの出した好条件をのみ、Ion Stormの一社員となった。しかし彼は華やかなダラスの高層ビルとは距離を置き、オースティンの支社で活動することを決めた。その後、彼は93年頃から構想を抱いていたDeus Exの開発に取り掛かる。やがて大刀が発表され、その約一ヵ月後にDeus Exも発表された。発売日がほぼ同じ時期で、しかも同じ制作会社ということもあってか、数々のメディアでどちらのゲームが良いゲームかといった比較がなされた。初期は宣伝効果もあってか、大刀が話題沸騰していたが、その酷評と共に話題性は一気に無くなり、逆に優れたゲームシステムを導入したDeus Exが持ち上げられ、数々の賞を受賞した。そのせいか、当時は「2000年における史上最高の作品と史上最低の作品が同じ会社からリリースされた」と話題を呼んだ。大刀はQuake IIエンジンを使用しているため、OpenGL対応ドライバ若しくは3dfx対応ドライバが動かすのに必須。しかしQuake IIの場合、たとえどちらのドライバに対応していなくてもソフトウェアモードで動かせるのだが、大刀はソフトウェアモードでは動かせない。また大刀が発売された当初は、3dfxは基本的に非対応になっており、対応させるには設定ファイルなどを書き換えるなどして手動で対応させなくてはならなかった(1.1パッチを適用すれば、メニューから選択可能)。現在では3dfxドライバはほとんど使われておらず、このゲームを動かす際はパソコンがOpenGLドライバ対応になっていることが望ましい。NINTENDO64版に関しては、Windows版同様ファーストパーソン・シューティングであるが、Windows版でかなりの問題を抱えていたサイドキックのシステムを排除し、バグを除去し、メモリ制限でマップを短くしたものである。グラフィックの解像度は低く、後に発売された拡張パックを導入しなければ人の顔などの見分けがつかないほどである。ゲームボーイカラー版は、見下ろし型のアクションロールプレイングゲームの形がとられている。いずれもコトブキシステムが移植・製作を担当している。武器は全部で25種類用意されているが、それらは各エピソードにそれぞれ6〜7個振り分けられ、他のエピソードでは使えない。またマルチプレイに関しても、その時代の武器が適用されるのでプレイ中は6〜7個の武器しか使用出来ない。また武器には自爆するものが多数ある(25種のうち15種)。ブーストアイテムとは、取得すると一時的に該当するステータスを最大値に上げてくれる。取った時点で発動するので、マップを考慮して取得する必要があるが、シークレットエリアなど入り組んだ場所に多く置いてある。ちなみに、該当するステータスにポイントが最高値まで振り込まれていた場合は何も効果が無い。ステージによってアイテムのデザインや効果が大きく変わる。それ以外は一般的なFPSと同じ。これらもステージによってデザインや攻撃手段が変わってくる。サイドキックは、プレイヤーが命令するためのボタンを押すと、そのボタンの命令に沿って動く。大刀のファンサイトでは、Daikatana pre-alphaというタイトルで大刀のアルファ版がジョンロメロの許可を得て、配布されている。これはQuake 2エンジンに転向する以前の、Quakeエンジンで作った97年3月時点の試作版である。起動するにはOpen GLドライバが必須。またプレイする際には、マップ名を添付されている説明書の通りに入力してマップを読み込ませる必要がある。全体的にグラフィックは劣るが、最終版の雰囲気は残してある。また正式リリース版では見られないようなシチュエーションや武器、敵キャラクターなどもある。また同様にDaikatana Milestone 2というタイトルで97年9月時点の試作版が配布されている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。