灰野 敬二(はいの けいじ、1952年5月3日 - )は、千葉県生まれ、東京在住の音楽家。ロック、サイケデリック、ノイズ、フリー・ジャズ、フリー・ミュージックなど、扱う音楽のジャンルは非常に多岐に亘る。。1970年代より活動。日本国内におけるアヴァンギャルドなミュージックシーンにおいては最古参の人物であり、ボックスセット『魂の純愛』や『ロスト・アラーフ』『天乃川』といった作品でうかがえるアプローチを十代の頃から深め続けている。作品群は、日本のみならず海外での評価も高い。リリースしたレコードやCDはほとんどがインディペンデント流通で、100を超える厖大な点数のため全体像を把握するのは困難。ソニック・ユースのサーストン・ムーアをはじめとして、世界的にも数多くの信奉者を生んでいる。他ジャンルの創作者とのコラボレーションも試行しつつ多彩なテクスチャーを貪欲に取り込んでの混沌としたサウンドを追求しており、一貫してコマーシャリズムと連帯しないという狷介な姿勢を三、四十年の長きにわたって固持している。主に扱う楽器はヴォーカル、ギター、ドラム、パーカッション、ハーディ・ガーディなど。民族楽器を含めた100種類にも及ぶ多種多様な楽器を所持しているが独自の演奏方法を編み出している場合が多く、一般的なスタイルで演奏することは稀である。ある時期までは一貫してテクノロジー楽器を否定する姿勢を保っていたが、2000年代からはエレクトロニクスや発振器などを用いての演奏も行うようになった。マレーネ・ディートリヒ、ヤニス・クセナキス、シド・バレット、ジム・モリソン、チャーリー・パーカーらの影響を受ける。また、初期のブルースを愛しており、特にブラインド・レモン・ジェファーソンを好むとともに、日本のグループ・サウンズや童謡への造詣も深い。幼少期は病弱であったらしい。アントナン・アルトーに影響を受けて演劇を志すが、ドアーズの「When the Music Is Over」を聞いて衝撃を受け、音楽へと転向したと言われる。当初は、ブルースや実験音楽のユニットを転々としながら、自宅録音による作品も制作していた。1971年、自身の即興ヴォーカルによる「ロストアラーフ」を結成。頭脳警察や阿部薫らも出演し、加藤登紀子も出演予定であった新東京国際空港建設反対デモ集会「三里塚・幻野祭」にて登場する。1972年頃、マジカル・パワー・マコと出会って親交を深め、ともに活動するようになる。1973年にはソロ・パフォーマンスを開始。同年、マジカル・パワー・マコらとNHK「ひるのプレゼント」に出演するも、視聴者から苦情が殺到して担当プロデューサーが降格する事態となる。1974年、マジカル・パワー・マコのアルバムに参加。その後、映画「卑弥呼」のサウンドトラックに参加し、武満徹と活動する。1975年、ロスト・アラーフが解散。1977年頃、ギターによる演奏を開始し、阿部薫と軍楽隊、大正琴楽者の竹田賢一とバイブレーション・ソサエティを結成する。また1979年には、今もって灰野敬二のメインのバンドである不失者を結成し、ここにハード・ロックの方法論を導入する。不失者は、メンバーチェンジを経ながら現在も存続している。1981年、初の渡米を果たし、多岐に亘るミュージシャンと共演。しかし、1983年から1987年にかけて、病気療養のため演奏活動を中止することになる。1988年、復帰。パーカッションと舞踏によるソロ・パフォーマンスを始め、田中泯とともにヨーロッパ公演を行う。1989年、日本フォーク界の異端・三上寛(後も共演の機会を持った)、阿部とも共演経験のあるフリージャズ・ベーシスト吉沢元治とともに作品をつくる。1990年、法政大学で不失者による初のコンサートを開く。以後、このコンサートは学生会館の閉館まで年末の定例公演として継続していた。1991年にはニューヨークで公演。以後、毎年のように北米やヨーロッパ各地で、不失者あるいはソロとして精力的な公演をする。1995年、三上寛、石塚俊明とバサラ("VAJRA")を結成する。「阪神大震災被災者のためのコンサート」にも参加。また、阿部薫と鈴木いづみを描く映画「エンドレス・ワルツ」に本人役で出演。1997年には、徳間ジャパンより初のメジャー進出となる作品を4枚同時にリリースする。1998年には「哀秘謡」を結成。このグループでは、ローリング・ストーンズからグループサウンズ、童謡まで、多彩な曲を新解釈で「あるべき姿にして」演奏している。2004年、秋田昌美ときくりを結成。2005年、間章のドキュメンタリー映画「AA」(監督・青山真治)に出演。他に結成したグループとしては、鬼怒無月、勝井祐二とのBlack Stage、ルインズとのニード("knead")、同じく吉田達也とナスノミツルとの連名ユニットから発展したサンヘドリン、滲有無(ニジウム:ソロプロジェクト)、フリクションのレックらとのHEAD RUSH、ナスノミツル、一楽儀光との静寂(SEIJAKU)がある。現在は、ソロ活動、哀秘謡を並行的に行うとともに、各界のアーティストとのコラボレーションも行っており、共演者は音楽界にとどまらず、舞踏家、詩人、劇団と多岐に渡る(別項参照)。近年はDJにも取り組んでいる。ごくまれに自作の絵の個展を開催する。不失者はドラマーである高橋幾朗脱退以降、後任ドラムが決まらず、灰野敬二自身が叩いたドラムをサンプラーでループさせたり、ドラムの音なしでベースの小沢靖とのデュオとして活動していたが、2005年を境としバンド(あるいはデュオ)形態での活動は休止状態となった(ごくたまに灰野ひとりで不失者名義の演奏をすることはあった)。2008年、長年不失者のベーシストであった小沢靖が2月7日朝方に肺がん・肺気腫のため死去。2008年、元NORDの伊藤まくと“沙無座(ザムザ)”を結成。2012年、ナスノミツル、高橋幾郎と共に9年ぶりに不失者としてアルバムをリリース。7月には、ミュージシャン・灰野敬二を主題としたドキュメンタリー映画『ドキュメント灰野敬二』(監督・白尾一博)が公開。11月には、ロングインタビュー、完全ディスコグラフィーなどを収載した初の著書『捧げる 灰野敬二の世界』を発売。12月、一楽の持病悪化により静寂の解散が決定、ラストライブを行った。2013年、DJ灰野敬二としては初となるミックスCDをBLACK SMOKER RECORDSより発表。また、亀川千代(ex.ゆらゆら帝国)、Ryosuke Kiyasu(SETE STAR SEPT)と共に不失者としてアルバムをリリースした。12月、R&Bをカバーするプロジェクトとして、川口雅巳、山崎怠雅、宮崎理絵、藤掛正隆らとHardy Soulを結成。"※来歴の項に挙がっているものを除く。" "632575
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