シア・シドニー・アルトン・ポンソン(Sir Sidney Alton Ponson, 1976年11月2日 - )は、オランダ領アンティルのアルバ島ノアド出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。8月17日に、ボルチモア・オリオールズと契約し、プロ入り。4月17日に、同球団からメジャデビューを果たす。7月31日に、ライアン・ハンナマンおよびダミアン・モス、カート・エインズワースとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。同年10月26日に、FAとなる。1月26日に、古巣オリオールズへFA移籍。9月1日に、同球団に解雇される。同年12月21日に、セントルイス・カージナルスへ移籍。7月11日、同球団を解雇される。同年7月14日に、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。同年8月23日に、同球団を解雇される。はミネソタ・ツインズに所属で開幕を迎えたが、在籍1ヶ月間で解雇。シーズンは、テキサス・レンジャーズに在籍するも、6月にまたしても戦力外通知を受け、その後ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2009 ワールド・ベースボール・クラシック・オランダ代表に選出され、チームではエースとして1次ラウンド初戦のドミニカ共和国戦で登板し、5回途中2失点で見事勝利投手となり、2次ラウンド初戦のベネズエラ戦では敗れはしたものの5回2失点と好投した。これが評価され、3月17日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。ロイヤルズのムーアGMもポンソンに注目していたことを認めた。4月10日にメジャーへ復帰。しかし8月2日に戦力外となった。ロイヤルズを最後に現役を引退した。2003年にボルチモア・オリオールズからサンフランシスコ・ジャイアンツへの移籍を経験しているが、それは好成績を残し、高額の長期契約を要求してきた為。その時、チームがポンソンを放出したのは日頃から練習態度が悪く、体重管理がなっていなかったからと考えられる。体重管理の悪さは公表体重が2002年101キロ、2003年113キロ、2004年119キロと体重がグングン増えていっている事からも窺える。2004年12月25日に、故郷アルバ島のビーチで水上スクーターのような物で遊んでいた時に、近くにいた裁判所の判事に水をかけてしまった。判事がポンソンを注意すると、ポンソンは逆上してその判事を殴ってしまっている。ただちに逮捕されたポンソンは獄中で11日間を過ごした。飲酒運転を絶えず繰り返している。2004年1月、2004年9月、2005年8月と3度もやらかしている。また、3度目に逮捕された時には実刑判決を受けており、その内容は禁固5日間と500ドルの罰金。
出典:wikipedia
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