


潮 哲也(うしお てつや、1949年12月13日 - )は、日本の元俳優。本名は本保 明啓(ほんぼ あきひろ)。山田栖峯子事務所所属。石川県金沢市出身(出生は京都府〈旧〉岩滝町)。身長178cm、体重70kg。血液型はAB型。石川県立工業高等学校卒業。父親は警察官で、14歳のころに石川県金沢市に転居する。高校卒業後、製紙会社勤務、レコード店事務を経て上京し、東映演技研修所を経て、東映芸能部に所属する。数本のテレビドラマに端役で出演した後、『快傑ライオン丸』の主役に抜擢され本格的デビューを果たし、続く『風雲ライオン丸』でも主演を務める。1974年からは東宝芸能に所属し、東宝制作のテレビドラマ・映画に出演。特に『江戸の旋風シリーズ』では長期に亙ってレギュラーで活躍した。また東宝作品以外でも『高原へいらっしゃい』『淋しいのはお前だけじゃない』などで印象的な役柄を演じる。東宝を離れてからも俳優として多数の作品に出演する傍ら、『スーパー競馬』の司会を務めるなど活躍の場を拡げる。妻は元女優の九条亜希子で、『快傑ライオン丸』の共演がきっかけで結婚した。テレビドラマの制作が減り、望む役も得られないようになったため、60歳になったのを機に俳優業を引退した。「潮哲也」の芸名は、『快傑ライオン丸』の時にピー・プロダクション社長のうしおそうじにより、「うしお」の字を譲られたもの。特技は剣道二段、スキューバダイビング。『快傑ライオン丸』はオーディションで起用されたが、クランクイン直前であったためすんなり決まったという。潮は後に妻となる沙織役の九条亜希子の選考に立ち会っており、自身が新人であるため演技経験がある九条を推薦していた。剣道の有段者であったが、剣道と時代劇の立ち回りでは動きが異なるため、周囲からは「剣道経験者ではないほうが良かった」と言われたこともあった。『快傑』での衣裳は全身革製であったため、暑くて動きづらく、『風雲』で衣裳が変わった際には動きやすくなったと感じたという。『快傑』第7話の撮影時に岩場を降りるシーンで足を骨折し入院したが、スケジュールが切迫していたため撮影は中断されず、潮は病院から撮影現場に通っていた。全治1ヶ月ほどであったが、撮影現場の湿気で石膏がふやけてしまうため2週間程度でギブスを外していた。『ライオン丸』の終了後、馬に接する機会がなくなったため競馬場に行くようになり、次第に競馬に詳しくなって『スーパー競馬』の司会を務めるに至った。リメイク版『ライオン丸G』については、放送当時にインタビューを受けたため存在は知っていたが、旧作とはイメージが異なるため積極的には観なかったという。
出典:wikipedia
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