自衛隊ゴラン高原派遣(じえいたいゴランこうげんはけん)とは、1996年(平成8年)から2013年(平成25年)1月まで、自衛隊が国際平和協力業務の一環として、シリアとイスラエルとの境界に位置するゴラン高原へ派遣されていた自衛隊海外派遣。国連平和維持活動(PKO)の国際連合兵力引き離し監視軍(UNDOF)への派遣であり、自衛隊のPKO派遣としては3番目であり、最長期間行われた。第四次中東戦争後、イスラエルとシリア間の停戦監視と両軍の兵力引き離しなどに関する合意の履行状況の監視を任務として、1974年(昭和49年)に、国連兵力引き離し監視軍(UNDOF,United Nations Disengagement Observer Force)が創設され、ゴラン高原の兵力引き離し地域(AOS:Area Of Separation)に展開している。日本は長らくこの活動には関与していなかったが、1996年(平成8年)以降、自衛隊部隊を派遣してきた。しかし、野田内閣は、2012年(平成24年)12月21日に開催した安全保障会議において、シリア騒乱による現地情勢の悪化に伴い、活動開始から17年目で派遣を終結することを決定した。部隊は2013年(平成25年)1月15日に撤収を完了し、1月20日に防衛省で隊旗返還式が行われた。治安情勢を理由として派遣を打ち切るのは本派遣が初となった。UNDOFの司令部要員としては2名が派遣されている。1ヵ年程度で交代している。第8次の司令部要員として、初めて海上自衛官が派遣された。1996年(平成8年)5月以降、航空自衛隊も6ヶ月に1度程度の割合で、C-130H輸送機やU-4多用途支援機を、派遣輸送隊の物資輸送のために派遣している。警務班は尉官1名と陸曹1名の合計2名体制であるが、必ず派遣されている。2006年(平成18年)4月に、当時の陸上自衛隊警務隊長榊枝宗男陸将補が第21次ゴラン高原派遣警務班を視察するとともに、UNDOF司令官及び後方支援大隊長(兵站大隊長)等へ表敬訪問をした。これには、第10次ゴラン高原派遣警務班長であった1等陸尉が随行している。現地ではウイコスキーUNDOF憲兵司令官(ポーランド陸軍憲兵)以下のUNDOF憲兵が要人警護として警護に当った。ゴラン高原派遣輸送隊は、3等陸佐を隊長として、陸海空自衛隊の隊員43名からなる(陸上自衛隊の輸送科隊員が中心であるが、海空自衛官も派遣されている。)。半年程度で交代しながら任務を継続している。武器としては、小銃・拳銃・機関銃のみ携行している。UNDOF司令官の隷下には2個歩兵大隊及び1個後方支援大隊(兵站大隊)が置かれており、日本隊はそのうちの後方支援大隊輸送部隊を担当している。UNDOF部隊の活動に必要な物資等を輸送すると共に、道路の補修、除雪作業などを担当している。当初は、後方支援大隊は日本隊とカナダ隊とによって構成されていたが、2006年(平成18年)3月にカナダ隊に代わってインド隊が充てられた。2006年(平成18年)1月に、日本がUNDOFに部隊を派遣して10周年になることを記念した式典が行われた。その際、「バラ・ナンダ・シャルマ」UNDOF司令官(ネパール陸軍中将で、2004年(平成16年)1月から2007年(平成19年)1月12日まで司令官を務める。)から森勉陸上幕僚長へメッセージが贈られた。そこでは、などの点が評価された。また、同司令官は離任後の帰国途中に日本を訪問し、同年同月29日に久間章生防衛大臣を表敬し、改めて日本部隊の働きに評価の辞を述べた。この派遣は人数こそ少ないものの長期にわたっていることから、陸上自衛官の国外派遣の経験を積む重要な場となっており、イラク復興業務支援隊の第1次隊長佐藤正久(化学科)や、初代国際活動教育隊長の軽部真和(機甲科)はこの派遣に参加した経験を有している。
出典:wikipedia
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