いすゞ・C系は、いすゞ自動車が1980~1984年にかけて製造・販売していた大型バスである。型式名の頭文字からC系バスと呼ばれた。リーフサスペンションの主に路線用のC*Mと、エアーサスペンション観光系のC*Aが存在したが、ここでは路線用のC*Mを主軸に述べる(C*A観光系はいすゞ・スーパークルーザー項を参照)。1980年、利用客と事業者などから時代は路線バス車両冷房標準化が求められており、エンジン出力向上と併せて昭和54年排出ガス規制に対応するため、BU系からモデルチェンジされて登場した。1983年、標準架装の川重車体工業製は、車体前面のリベットレス化をはかり大型方向幕適用が標準となり、また登場以来別体であったエンジン回転計を運転台に埋込式に変更された。この年は一時的に、屋根断面と前面方向幕がLV系と同様のデザインに変更された試作車体が札幌市営バス向けのK-CJM520に架装されている(1996年まで運用)。また中・後引戸扉を採用する事業者の車両においては、中・後引戸扉の窓が大型化している。1984年、標準架装の川重車体工業製は運転席窓を拡大。同年、後継車のLV系へのモデルチェンジに伴い製造を終了した。標準架装車体は川重車体工業製で、車体断面、側面、後面は、BU系の車体スタイルを継承しているが、前面は傾斜のついた曲面ガラスとなり、バンパー形状も含めBU系と印象の異なるものとなった。前面は、当時採用例が多くなった大型方向幕を枠内に内蔵できるよう設計されているが、行き先表示を目立たせるためかさらに上側に飛び出した仕様を特注する例や、逆に従来どおり小型の方向幕を採用している事業者もあった。車両後面もBUに近いスタイルであるが、バンパー形状やエンジン点検扉の形状が若干異なる。高出力車は側面のエンジン冷却用ルーバー金網内部に縦長の板(フィン)が数本取り付けられている。最初期のモデルは、BU系で使われていた窓ふき取りワイパを採用し、床下冷房空気取入口の金網の間隔が大きい(ヂーゼル機器)。またモデル名の後に“-1”と刻印されており、それ以降は省略されている。運転席メータパネルは、大きい長方形1個の中に両脇に小さな長方形2個を配置したもので、サイドブレーキを引くと“駐輪ブレーキ”と文字が赤く燈るなど当時としては洗練されたものであった。ハンドルは、それまでの3点式から2点式の形状に改められた。また低床車(架装車体会社によっては刻印表記)は、運転席が若干外板寄りである。標準架装の川重車体工業製における外観上の違いは、前扉のガラスが上向き位置は標準床、窓ガラス位置均衡が低床(一部例外あり)である。また、BU系と同じく富士重工業、北村製作所を架装した場合は、前輪のタイヤハウスの枠を大きく採るため、外観上の差異が判別できる。標準車体以外の架装例では、富士重工業、西日本車体工業、北村製作所、日野車体工業(国鉄バス向け、特装車両として日本赤十字社向け献血車のみ)が存在した。富士重工製を架装したものは1982年までが3Eで、それ以降は5Eとなる。西日本車体工業製を架装したものは主に53MCだが、わずかながら58MCに架装した車両もある。日野車体工業製を架装した国鉄バス向けの車両は日野・REと同様の車体だが、ライトペゼルは川重車体工業製車体と同一の物を使用していた。なおつり革・座席配列などは、採用事業者により異なる。3種類のエンジン、5種類のホイールベースの組合せの車型が存在した。型式名は排出ガス規制適合を示すK-以下にシリーズを示す“C”、“エンジン記号(L、J、P、Q)”、“サスペンション記号(M:リーフサス、A:エアサス)”の3文字のアルファベットが続き、ホイールベースを示す3桁の数字が続いた。
出典:wikipedia
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