兵庫島公園(ひょうごじまこうえん)は、東京都世田谷区玉川三丁目にある公園。多摩川と多摩川に合流する野川の河川敷を利用した公園である。兵庫島公園は、国道旧246号(大山街道)二子橋と、国道246号(東京・横浜バイパス)新二子橋の間の多摩川河川敷に位置し、多摩川と野川の合流部に位置する「兵庫島」を基に作られた公園である。ただし現代、「兵庫島」を含めて公園は島ではなく、上流側は新二子橋の下を境に同じく河川敷にある二子玉川緑地と接している(なお、以前の状態については#「兵庫島」の由来を参照)。1988年に「兵庫島河川公園」として整備され、現在は「兵庫島公園」となっている。公園内には「兵庫島」が丘として残っており、「兵庫島」を中心として木々が生い茂り武蔵野の緑を今に残している。「兵庫島」の上流側には、開放的な芝生広場もある。また、三方を多摩川・野川に接している他、公園内中央には人造の池である「兵庫池(ひょうたん池)」があり、また上流側からは「ひょうたん池」に注ぎこむ人造の小川が整備されており、水に親しみやすい公園である。兵庫島から多摩川を望んだ時に広がる風景は、池や小川が人造ではあるものの、東京23区内では貴重な緑と水の溢れる風景であり、周辺住民に親しまれている。隣接する二子玉川緑地を介して河川敷公園が連続しているため散歩に訪れる人も多い他、兵庫島公園が二子玉川駅に近く、二子玉川緑地が住宅地に隣接しているため、通勤時に利用する人もいる。なお、河川敷にあるため、川が増水した際は利用できなくなる。東急田園都市線・東急大井町線:二子玉川駅(徒歩5分)「兵庫島」のある場所は、古来は多摩川と野川のデルタ地帯であり、兵庫島ももともとは完全に島の形をしており、また洪水のたびに何度か移動していたという。それが、洪水によって他の河川敷と陸続きになり、現在に至る。公園の掲示等によると、「兵庫島」の名がつけられたのは中世。1358(正平13)年に新田義貞の次男である新田義興が、多摩川矢野口の渡(この件については後述)を渡河した際に江戸荘領主の江戸遠江守の策略によって、底に栓が仕掛けられた船に乗ってしまう。船頭が栓を抜いて逃げるのと同時に足利方軍勢が攻めかかり、義興はもはやこれまでと自害する。しかし、気強い従者達には川を泳ぎきって敵兵に立ち向かい、自害して果てる者もあった。中でも由良兵庫助・新左衛門の兄弟は、舳先にたち、刀を逆手に取り直して互いに自分の首を切り落とした。その壮絶な死を遂げた由良兵庫助の死体が多摩川と野川の合流部にあるデルタ地帯の島に流れ着いたのであるが、これに対して村人達は災いを恐れて兵庫助をこっそりとこの島に供養した。これが兵庫島の名の由来であるとされる。不思議なことに、この中州はその後どんな洪水のときでも流されることはなく現在まで残ったという。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。