日立市(ひたちし)は、茨城県の北東部にある市。市域の大半は旧多賀郡で一部は久慈郡である。総合電機メーカー・日立製作所の創業の地として知られる。日立鉱山から発展した鉱工業都市である。1905年(明治38年)、江戸時代から採掘されていた日立村の赤沢銅山を久原房之助が買収し、村名にちなんで日立鉱山に改名、久原鉱業所(現在のJX金属)を創業して以来の企業城下町として、後年はその機械部門が分離・独立した日立製作所・日立グループの企業城下町となるが、現在は両社とも本社を東京に移転している。他に、日立市と同様に鉱山町から企業城下町になった地域としては、新居浜市(別子銅山→住友グループ)が代表的である。元来、7世紀の国造の時代から、現日立市の中心部は助川(すけがわ)という地名だったが、1939年(昭和14年)9月1日に助川町が日立鉱山を擁する日立町と新設合併して市制を敷く際に日立市となった。1939年以後、都市名と企業名の混同を避けるために、日立市民は都市名を『日立(ひたち)』と呼び、日立製作所を『日製(にっせい)』と呼んで区別している(日製の略称はかつての日製商事=現在の日立ハイテクノロジーズなど、日立グループでも用いられる)。戦後の一時期、人口は県庁所在地の水戸市を上回っていたことがある。しかし、近年は日立グループの再編などによって人口が減少し、十王町の編入にも拘らずかつて21万人を数えていた人口も20万人を割った。現在はつくば市に抜かれ、県内3位となっている。1939年(昭和14年)に、旧日立町と旧助川町が対等合併して日立市となるが、対等な立場からどちらかの町名を使うわけにいかず、日立鉱山が調停案として新市名に「常陸市」を提案するも協議不調になり、新市名は茨城県に一任されることとなった。すると県は、すでに日立鉱山と日立製作所が全国的に知られていること理由に、新市名を日立市に決定した。茨城県の新市名決定により、その理由が旧日立町からとられたものではなかったことから、市の中心地にあたる旧助川町にも受け入れた。日立製作所(およびその母体である日本鉱業)の成立以前から「日立村」という自治体は存在していたが、「日立」の地名は、神峰山を登山した徳川光圀によって名付けられたとされるのが定説になっており、明治の大合併で成立した旧日立村(のちに町制を施行して日立町となる)は、この光圀の言い伝えにちなんで名づけられたとされる。関東平野が久慈川(日立市と東海村の境)で北端となるため、東側の太平洋と西側の多賀山地に挟まれ、南北に細長く可住地が伸びている。可住地の多くは、日立製作所およびその関連企業の施設が占めているため、山間地を切り開いて造成した住宅地が多い。可住地は大半が海岸段丘と扇状地であるため、水の便が悪い所が多い。川も河口付近まで谷になっているものが多い。昔は、沢の上流から"かけどい"と呼ばれる水道橋を作って用水を確保していた地域もある。また、扇状地の末端部分では"泉が森"のように地下水が湧き出し泉となっているところもある。南北に大きく伸びた海岸線を持つことから、市内には6箇所の海水浴場を持つ。名勝として、玉簾の滝(たまだれのたき)や諏訪梅林(すわばいりん)などがある。市内各地に桜の木が多く見られ、「日本さくら名所100選」にも選ばれている(かみね公園・平和通り)。市北西部の日立鉱山には1914年(大正3年)に煙害対策として当時世界一の高さ155.7mの大煙突(だいえんとつ)が建てられ、鉱工業都市日立のシンボルとして長く親しまれた。これをモデルにした小説として、新田次郎の「ある町の高い煙突」がある。大煙突は、1993年(平成5年2月19日、この日に吹いた強風と老朽化の影響で倒壊し、現在は高さ54mとなっている。総じて、常磐線の駅を目安に各地区が形成されており、大甕(おおみか)・多賀(たが)・助川(すけがわ)・小木津(おぎつ)・十王(じゅうおう)の国道6号沿線と、中里(なかざと)の国道349号沿線に分けられる。中里地区は、同じ国道349号沿線の常陸太田市との交流が多い。なお、多賀山地の各所に露出する日立変成岩は5億年以上前のカンブリア紀のもので、日本最古の地層とされる。このことからこの地域が、昔ゴンドワナ大陸の東にあった火山島で、日本列島の始まりの地ではないかとも考えられている。太平洋と阿武隈高地に挟まれているため、茨城県では北に位置しているにもかかわらず気候は比較的温暖であり、同じ茨城県内の大洗や鹿嶋よりも、福島県浜通り南部の小名浜や広野に近似する気候である。1月の平均気温は4.4℃と、茨城県中部の水戸や南部の土浦、千葉県北西部の我孫子よりも高い。また、夏もさほど気温が高くならない。鹿野場遺跡、六ツヶ塚遺跡などから約3万年前の石器が出土しており、この地域には当時から人が定住していたと考えられている。7世紀前半の国造の時代には、現在の日立市は、道口岐閉国造の本拠地で、多珂国の南端であった。この多珂国は、現在の日立市から福島第一原発付近(大熊)まで跨がる広大な沿岸国であり、『常陸国風土記』では大熊が「苦麻」「道後 (道の尻)」と呼ばれたのに対して、日立市は「助川」「道前 (道の口)」と呼ばれていた。そして、7世紀後半に律令制が浸透すると、この多珂国は常陸国に編入された。日立製作所の連合系労組に支持されている民主党が市政・県政・国政とも強い。日立市は、日立製作所・日立グループの企業城下町として有名である。市の人口のおよそ40%は日立製作所およびグループ会社の社員かその家族である。他の企業城下町では、豊田市(トヨタ自動車)や新居浜市(住友グループ)と対比されることが多い。市内には、日立製作所およびその系列企業の工場や社宅、社員寮が多数点在する。東日本でも有数の工業集積地域として発展し、その事業所数はピーク時で1000を数えたが現在は約700。機械、電機、輸送機に関連する中小企業が日立市のものづくり産業を支えている。日立地区産業支援センターは1999年(平成11年4月に開設された産業支援機関であり、こうした中小企業のさまざまな事業活動をサポートしており、その精力的な活動は全国的にも注目され、モデルケースとなっている。日立鉱山は、現在のJXエネルギー・JX金属の元になっている日本鉱業発祥の地でもある。日立鉱山は1981年(昭和56年)に閉鎖されたが、JX金属の工場は現在も所在する。現在は日立グループに比べると日立市内での規模はずっと小さく、両グループ間の資本関係もないが、同じルーツの会社として地元でも財界でも懇親関係は続いている。阿武隈高地と太平洋に挟まれている、日立市から大熊にかけての地域は、7世紀中期の多珂国であり、20世紀前半には日立鉱山や常磐炭田で知られる鉱業地帯であり、常磐線の助川駅(20世紀前半、「日立駅」は「助川駅」を名乗っていた)からは日立山手工場や日立銅山への「鉱山鉄道」が走っていた。1960年代の高度経済成長によって、石炭産業は衰退し、閉山に追い込まれた。炭田時代の産業遺産として、セメントの原料である石灰石運搬用の架空索道がある。日立セメント株式会社が太平田鉱山で採掘したセメントの原料である石灰石を山根貯鉱場までの山間3.8kmの区間を運搬しているものである。ロープウェーにいくつものゴンドラが付いており、一つで1.25トンを積載、毎分150m移動する。さらに、山根貯鉱場からセメント工場までは、ベルトコンベアが通っており、数沢川の上に架かる線路上を通過し、日立市役所付近から地下に入り市街地を縦断して工場まで運搬しているものである。現在日本国内で架空索道が運転されているのはここだけの珍しい設備である。助川山市民の森の何カ所かで間近に見られる。茨城港日立港区では自動車の輸出入も盛んに行われており、ダイムラー(メルセデス・ベンツ)やルノー、日産自動車が主に利用している。特にメルセデス・ベンツは常磐自動車道日立南太田ICそばに新車整備センター (VPC) を設けており、日本国内における重要な輸入拠点となっている。十王地区の伊師浜海岸には、日本で唯一、海鵜(ウミウ)の捕獲が許可されている鵜捕り場が設けられている。地理的に東西を山と海に挟まれた地帯に市街地が発展したため、市内の国道6号と国道245号はとくに朝夕の通勤時は渋滞し、昼間も日立市を通過する際にはかなりの時間を要するため、日立市内を通過するためには常磐自動車道を用いるのが一般的である(市内の南部にある日立南太田ICと北部にある日立北ICはいずれも国道6号と直結している)。市でも渋滞の緩和は課題のひとつであり、種々の施策を行っている。現在、日立市北部の田尻町〜河原子町の海岸沿いを通る国道6号バイパスが完成している。国道6号とは別に小木津〜石名坂間山越えの県道ルートも計画され、一部多賀地区と石名坂間が開通している。また、市内を貫く国道245号線は、日立製作所の日立工場(日立事業所)や国分工場で製造された大型構造物(主に発電用のタービン等)の輸送に耐えるよう、日立事業所のある幸町から南部の日立港までの区間が特殊な構造になっている。まず、以前はドイツのアウトバーンのようにコンクリートで鋪装された白い道路であったが、現在は、雨天時の安全性と重量物の輸送の両方に対応できるように、表面がアスファルト鋪装され、その下にコンクリートが敷かれている。次に、この区間には2ヶ所の歩道橋が架けられているが、橋梁部が可動式(道路上空の部分が水平に持ち上がる構造)になっている。同様に、同区間にある信号や道路標識は、支柱を中心に水平方向に回転するようになっている。概ね月1回程度のペースで深夜に大型構造物の輸送があり、国道245号が通行止めか一方通行になる。
出典:wikipedia
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