LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

名古屋高速5号万場線

名古屋高速5号万場線(なごやこうそく5ごうまんばせん)は、愛知県の、名古屋市中区の新洲崎JCTから名古屋市中川区の名古屋西JCTへ至る、名古屋高速道路の路線である。道路法上は、名古屋市道高速1号(中川区島井町 - 千種区鏡池通)の一部である。このことから本項では5号万場線と2号東山線をまとめて解説する場合、便宜的に「高速1号」と表記する。名古屋市の中心部と市内西部地域を連絡する東西方向の路線である。西端の名古屋西JCTにて東名阪自動車道と名古屋第二環状自動車道(名二環)および東端の新洲崎JCTにて都心環状線、2号東山線と接続する。このことから万場線は三重県や関西方面と名古屋市内を連絡する使命を担っている。名古屋高速において3番目に供用された路線である。最初に供用された3号大高線が計画台数を大きく下回る中で、2番目に供用された都心環状線の一部区間の開通によって利用台数が上昇に転じ、続く5号万場線の開通は利用台数の大幅な上昇と料金収入のアップを公社にもたらした。万場線開通以前は三重県方面からの高速道路は東名阪自動車道名古屋西ICで途切れ、それ以東は片側1車線による一般道路(愛知県道115号津島七宝名古屋線)によるほかなく、名古屋市内の道路の渋滞を引き起こしていた。また、伊勢湾岸自動車道の名港西大橋区間がやっと開通した時代にあって、静岡・三河方面と三重県方面を連結する高速道路も存在しなかったことから、一般道路の渋滞に一層の拍車をかけることになった。ゆえに5号万場線の開通は、郊外と名古屋市内の連絡時間短縮および名古屋市内の道路の渋滞解消に資することになった。万場線は全線高架一層式となっている。起点の新洲崎JCTでは、都心環状線とはランプウェイで連絡するが、2号東山線とは直線で繋がっている。路線は黄金出入口付近までは直線で、そこから先はあおなみ線、JR関西線、近鉄線を横断することから大きくカーブする。横断後、再び西に進路を変えて愛知県道115号津島七宝名古屋線の上を通って終点の名古屋西JCTに至り、東名阪自動車道へは直線で、名二環へはランプウェイで連絡する。5号万場線(開通当初は1号万場線と称した)は2号東山線と一体で計画され、その建設の主旨は、名古屋市内と東名高速道路名古屋ICないし三重県方面を往来する長距離交通を名古屋市内の一般道路に混入させることなく、高速道路に誘導して交通渋滞の解消を意図する内容であった。そして、名古屋市周辺を迂回する名古屋環状2号線とは上社と千音寺付近で連結して、名古屋市内に用が無い通過交通を名古屋環状2号線に振り分けることでさらなる機能分化を推し進めることとされた。1970年代に計画された名古屋高速各路線は、その当時全国レベルで高まりを見せていた反公害運動のあおりを受けて、1976年に概ね3割の区間が高架式から半地下、地下式に都市計画変更された。しかし、万場線は東海道新幹線をはじめとした鉄道各路線の直下を地下方式で建設することは技術的に不可能とされ、新川、庄内川の渡河区間および名古屋環状2号線専用部(名二環)との連結部は高架式で建設するという取り決めもあり、検討段階で全区間が半地下・地下式の対象外とされた。このため、半地下・地下式あるいは高架式の選択で二転三転した2号楠線(現・1号楠線)より遅く着工された割には、楠線より2年早い1986年に全線開通を見ている。従来、白川 - 名古屋西IC間は一般道路で30分を要したが、万場線開通によって10分で移動可能となり、白川 - 亀山間で見ると所要1時間10分が40分に短縮された。その便利さを裏付けるように、開通1か月間で予想された利用台数を六千台上回り、公社の収益面に対しても大きくプラスに貢献した。1979年の2号大高線開通以降暫くは利用数が予想を大きく下回り、費用が収入を上回る赤字が続いたが、万場線の開通は前年の東新町入口と東別院出口への延伸開業とも相まって大幅な料金収入増をもたらし、1989年度以降は単年度の黒字に転換、償還準備金の繰り越しが出来るまでに改善した。開通時点では他の名古屋高速路線とは繋がっていなかったことから、白川出入口と指定の名古屋高速出入口間の連絡用乗継券(1時間有効)を発行し、高速料金の二重払いをしなくてもよいシステムを採用した。平日24時間交通量(平成17年度道路交通センサス)万場線は全路線中1箇所で進路を大きく変更するが、それが当該跨線橋区間である。愛知県道115号と笹島地域を橋渡しして、若宮大通へ連結させるうえでのアプローチ路線となる。当該区間には近鉄、関西本線、あおなみ線、JR東海名古屋工場に至る線路が集積し、そこを名古屋市道環状線の黄金陸橋が横断、さらにその上を万場線が通過するという複雑な構成となっている。こうした状況下で全長293mの弧を描く跨線橋を架設するには、一括送り出し工法と橋の中央部をクレーンで架設する工法を併用することとして、まず1984年9月より両側から橋桁を送り出す工事を開始した。ただ、黄金陸橋の日交通量は約6万7,000台に上ることから慎重を期しての施工となり、両桁間を38mまで接近させて1985年7月に送り出し工法による建設は終了した。残り38mは黄金陸橋にクレーンを設置、桁を吊り上げて落とし込んだうえでボルトで接合する工法を採用し、最初の工事が1985年10月に施工された。なお、万場線における工事の難所は黄金跨線橋と後述の中川運河倉庫群における2箇所であるが、当該工事の進展が万場線開通時期の見通しを与え、当初1986年度とされた開通時期を1986年秋に具体化させる一要因となった。黄金付近の大規模鉄道集積地帯を跨いでのち、若宮大通に直通するためにはもう一つ鉄道集積地帯を越える必要がある。これが六反跨線橋である。ここは東海道新幹線とJR中央線、東海道線、名鉄線が集積し、さらに広幅員道路の名古屋市道広井町線(名駅通)が並行する。また、当該区域と新洲崎JCTが近接することで、JCTの渡り線も跨線橋にかかる。こうした状況から工事は送り出し工法により架設した。道路交差部は手延機を使用することなく25mを押し出したが、鉄道交差部は手延機と自走台車による送り出しのうえ、前後に設置した門型降下機によって本線橋桁に連結した。さらに丸田町JCTに架かる渡り線2橋は本線桁上で組み立てたうえで送り出しにより設置している。この付近は万場線計画時点では中川運河の堀止付近を利用して荷さばきするための4 - 5階建の巨大倉庫が複数存在したことで、その大きさと業務内容ゆえ用地買収における代替地が見つからない場合は高架下における営業を許可した。そのことから、橋脚は倉庫間を跨いで建設されることになり、勢い大径間の高架橋となった。橋脚は倉庫間の狭い隙間に建設され、大スパンで橋桁を架設するにも倉庫があるために橋脚中間に仮設橋脚を組めないことが問題となった。このため、運河上に作業構台としての仮桟橋を建設し、そこで長大橋桁を組み立て、橋脚にスライドして架設する横びき工法を採用した。高速1号は東西方向の路線であることから、路線を挟んで北側に位置する区域では南側からの太陽光が遮断されるエリアが発生する。名古屋市の調査では冬至前後で最大20日間に渡って太陽光が当たらないエリアが発生するとされた。これについては必要な補償を行ったが、北側の遮音壁に透光性タイプを採用して採光面に配慮した。名古屋市と郊外を出入する国道、高速道路は概ね庄内川ないし天白川を跨ぎ、名古屋市内の交通流動を考えるうえで大きな障害となる河川である。名古屋高速で見ると、この2大河川を跨ぐ場合は並行する広幅員道路を避けて迂回するケースが多い。1号楠線は国道41号の上流側、6号清須線は国道22号の下流側、3号大高線は国道23号の両側、4号東海線は愛知県道55号名古屋半田線の下流側に偏って建設されている。その中にあって5号万場線はそれらとは異なる形態を採用している。万場大橋は名古屋市中村区と中川区の区界となる庄内川に架かる橋長196mの大橋である。元々は愛知県道115号のみが占有する単独の橋だが、いかんせん片側1車線と道路幅が狭く、堤防道路と平面交差していることもあって朝夕には身動きが取れないほどの渋滞が発生していた。このことから地元より早期の道路拡幅の要望が出されていたが、これに対しては高速道路の関連街路事業の一環として架け替える計画とされた。このため、拡幅と万場線の事業を一体的に行うにあたって、近接する万場小橋(新川を渡河)も含めて橋脚から全て架け替えることになった。これに伴って橋脚を二段として万場線を上乗せする形となり、県道の中央を高速道路が通過する構造とされ、結果的に他の名古屋高速路線とは異なる道路形態となった。改築後は旧橋と比べて幅員が13mから32mと3倍に拡幅された。なお、万場大橋と似た構造としては、短い距離ながら3号大高線の呼続大橋(山崎川を渡河)がある。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。