第十九号型掃海艇 (だいじゅうきゅうごうがたそうかいてい)は大日本帝国海軍の掃海艇。同型艇17隻。マル4計画で6隻とマル急計画で28隻、更に改マル5計画では36隻が計画された。艦型は先の第七号型と大きく違わないが、主砲は12cmM型砲3門に変更された。他国の掃海艇と比べて砲戦能力が大きく、そのため沿岸哨戒用として駆逐艦の代用を意図していたという説もある。また爆雷も装備し汎用性があったため、竣工後は船団護衛に多く使用されている。1番艇の第19号は1941年5月に竣工、その後1944年までにマル4計画の6隻、マル急計画の11隻の計17隻が竣工した。改マル5計画の艇は全て建造取り止めとなった。竣工17隻のうち戦没した艇は15隻に上った。マル急計画艦となる第25号からは戦時急造の簡易化がなされダブルカーブ型から直線型の艦首に変更になった。機銃座も設置の際も後に丸型から角形とするなどの簡易化が図られた。しかし全体では海防艦のような徹底した簡易化はされなかった。他の日本海軍艦艇と同様に大戦中は電探の装備と機銃の増備がなされた。電探は艦橋後部に台座を設け22号1基装備した。おそらく1943年(昭和18年)後期完成艦から装備されたと推定される。機銃は艦橋前に機銃座を新設し、また3番砲を撤去してそれぞれに25mm連装を1基ずつ増備した。その他単装機銃も3挺ほど追加された。竣工後は船団護衛に従事することが多かったが、航続距離の短さが問題となりバラストタンクの一部を改造して重油タンクにしたと言われている。竣工日(建造所)。喪失日と喪失原因(喪失場所)、もしくは戦後の状況。
出典:wikipedia
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