オリンピックシンボル()は、国際オリンピック委員会(IOC)のマーク・旗・シンボルのことであり、オリンピックムーブメントの象徴である。オリンピックマーク、いわゆる五輪マークは、単色または五色(左から青・黄・黒・緑・赤)の輪を重ねて連結した形で、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の結合、連帯を意味しているが、どの色も特定の大陸を意味したものではない。ピエール・ド・クーベルタンが古代オリンピックの開催地の一つであるデルフォイの祭壇にあった休戦協定を中に刻んだ五輪の紋章に着想を得て製作し、1914年にIOC設立20周年記念式典で発表された。国際オリンピック委員会の許諾を得ない商業利用は、1981年に締結された「オリンピック・シンボルの保護に関するナイロビ条約」で禁止されている。条約以前には、オリンピック憲章がこのマークを国際オリンピック委員会の独占的所有物と規定していたが、一民間団体の宣言によって関係者以外の人を律することはできなかった。日本では1964年の東京オリンピックの際に、許可を得ない提灯の販売をめぐって訴訟があったが、日本オリンピック委員会が断念する形で終わった。5つの輪の重なり方(上か下か)にも法則があるが、オリンピックエンブレムに単色で使用する大会もあり、それを明確に表示しない場合もある(夏季ではモントリオール大会・モスクワ大会・ロンドン大会など)。初めて旗が掲揚されたのは1920年のアントワープオリンピックからで、この大会からはオリンピック宣誓が行われた。旗は大会の開会式で掲揚され、閉会式で降納する。また特別旗はオリンピック開催都市の市役所に保存され、そのオリンピックの閉会式で市長からIOC会長に返還され、次回オリンピック開催都市の市長に引き継がれる。このことをフラッグハンドオーバーセレモニー(アントワープセレモニー)と呼ぶ。アントワープ市から寄付されたアントワープ旗は夏季オリンピック開催都市に渡される。旗竿には青・黄・黒・緑・赤・白の6色のついたリボンで結ばれている。1980年のモスクワオリンピックでその役目を終え、現在はオリンピック博物館に展示されている。1980年大会時には冷戦のため1984年開催地のアメリカへ旗が受け渡されず、おのずと役割を終える事となり、1984年大会では旗はレプリカが用いられた。オスロ市から寄付されたオスロ旗は1952年のオスロオリンピックから使われており、冬季オリンピック開催都市に渡される。なお、表裏ともに同じオリンピックマークがついている。アントワープ旗の後継としてソウル特別市から寄付されたソウル旗は1988年のソウルオリンピックから使われている。オリンピック旗は、開会式・閉会式での入場行進やメダル授与の際に国旗の代わりとして利用されることがある。政治的な理由によるもので、1980年のモスクワオリンピックにおける西側諸国での利用や1992年のバルセロナオリンピックにおけるEUN・ユーゴスラビア(独立参加として参加)、2000年のシドニーオリンピックにおける東ティモール(個人参加として参加)での利用が挙げられる。また広州アジア大会やリオデジャネイロオリンピックでは、クウェート政府がスポーツに介入したとして2010年1月よりIOCより資格停止処分を受けていたため、同国が個人参加として参加した際に使っている。ちなみに、リオデジャネイロオリンピックでは出場資格を得た難民同士を難民選手団として派遣参加した際にも用いられた。聖火は、オリンピック期間中にオリンピックスタジアムで灯され続ける火。古代オリンピック発祥の地・ギリシャのオリンピア遺跡で採火され、ギリシャ国内を回った後に開催国でリレーされる。テーマは、大会公式テーマ曲のほかに、大会ごとに放送局が選定して放送するものなど、さまざまなものがある。日本で行われたオリンピックのテーマソングでは1964年の東京五輪音頭、1972年の虹と雪のバラードが有名である。1968年のグルノーブルオリンピックから初登場した大会マスコットは、大会を象徴するマスコットとして親しまれている。1980年のモスクワオリンピックのマスコット「ミーシャ」は、FIFAワールドカップのマスコットを上回る大人気であった。さらに、開閉会式、アニメ化されるほどの大ヒットだった。2014年11月には、過去4大会の五輪マスコットが次(2016年)の開催地リオデジャネイロに集結した。
出典:wikipedia
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