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浜田国松

濱田 國松(はまだ くにまつ、新字体:浜田 国松、慶応4年旧暦3月10日(1868年4月2日) - 昭和14年(1939年)9月6日)は、日本の政治家。立憲政友会所属の衆議院議員として第31代衆議院議長になった。「腹切り問答」で、軍部の政治への干渉を批判したことで有名。現在の三重県伊勢市の山間部に生まれ、濱田清三郎の養子となる。三重師範学校を卒業後小学校教員となるがその後上京し明治24年(1891年)に東京法学院(現・中央大学)を卒業、弁護士となる。明治37年(1904年)、旧三重県郡部選挙区から衆議院議員に初当選する。以後連続12回当選。甲辰倶楽部→政交倶楽部→猶興会→又新会を経て、明治43年(1910年)立憲国民党の結成に参加する。その後、衆議院副議長を経て大正11年(1922年)に犬養毅と行を共にし革新倶楽部を結成する。大正14年(1925年)に立憲政友会に合流。昭和2年(1927年)、田中義一内閣の司法政務次官。昭和9年(1934年)から11年まで(1936年)衆議院議長を務める。議員生活の最後まで自由主義・反ファッショの姿勢を貫き、粛軍演説やのちに反軍演説を行った斎藤隆夫、人民戦線事件で検挙される加藤勘十とともに反ファシズムの書籍を出す。昭和12年(1937年)には寺内寿一陸軍大臣との間で「腹切り問答」を繰り広げ、軍部の政治への干渉を厳しく批判する。この時濱田は70歳、議員歴30年、前衆院議長。軍部の政治への容喙がそろそろ顕著になりはじめていた当時にあって、政党政治家の気骨を見せつけたのがこの割腹問答だった。

出典:wikipedia

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