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オマール・ナルバエス

オマール・ナルバエス(Omar Narváez、男性、1975年7月10日 - )は、アルゼンチンのプロボクサー。チュブ州・トレレウ出身。第12代WBO世界フライ級王者。第16代WBO世界スーパーフライ級王者。アマチュアボクシングで培ったテクニックをベースにした攻防兼備のアウトボクサー。アルゼンチン代表として1996年のアトランタオリンピック、2000年のシドニーオリンピックの2度のオリンピック出場をしている。「El Huracán(ハリケーン)」の愛称を持つ。弟のネストール・ナルバエスは元フライ級の世界ランカーで、5人兄弟共にボクシング選手。2012年に弟ネストールのチームに同行し初来日を果たしている。1975年にアルゼンチンで生まれ、早くからアマチュアボクシングを始めた。1996年にはバルセロナオリンピックにフライ級代表として出場、1回戦でホアン・グズマンに勝利するも2回戦で敗退。1997年、ハンガリーのブダペストで開催された1997年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場し銅メダルを獲得。1999年、パンアメリカン競技大会にフライ級(51kg)で出場、決勝でホセ・ナバーロを破り優勝。テキサス州ヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にフライ級(51kg)で出場、銀メダルを獲得。2000年、アメリカ大陸予選にフライ級(51kg)で出場、準決勝でダニエル・ポンセ・デ・レオンに敗退。シドニーオリンピックにもフライ級代表として出場、2回戦でウクライナのウラジミール・シドレンコに敗れた。このオリンピック出場を最後にプロボクサー転向を目指す。2000年12月1日にアルゼンチンでプロデビュー。すべてアルゼンチン国内での試合であったが、11戦全勝を記録。2002年7月13日、12戦目でWBO世界フライ級王者アドニス・リバスに挑戦、7回にリバスからダウンを奪うなど終始ナルバエスペースで進み、12回3-0(2者が117-109、119-109)の判定勝ちを収め無敗のまま世界王座を獲得した。2002年9月13日、後のIBF世界ライトフライ級王者ルイス・アルベルト・ラサルテと対戦し、10回2分27秒失格勝ちを収め初防衛に成功した。2002年12月14日、イタリアサルデーニャ州クアルトゥ・サンテーレナにあるプラゼッロ・デッロ・スポルトでナルバエス初となる海外戦を行い、アンドレア・サリッツの挑戦を受けた。タフなサリッツの技巧に苦戦するも12回2-1(116-112、116-113、112-116)の僅差で後半に追い上げたサリッツを振り切り2度目の防衛に成功した。2003年6月7日、ブエノスアイレスので、6年振りの世界挑戦となるエベラルド・モラレスと対戦し、初回にダウンを奪って先制。その後5回にもダウンを奪い、最後はレフェリーストップで3度目の防衛に成功した。2003年8月9日、サルデーニャ州カリャリにあるヴィラジミウスでアンドレア・サリッツと再戦、12回1-1(116-112、114-114、113-115)の判定で引き分けたが4度目の防衛に成功した。2003年11月14日、パリのパレ・オムニスポール・ド・パリ・ベルシーでアレクサンデル・マクムフドフと対戦した。試合は終始ナルバエスがコントロールし、10回終了時にマクムフドフ側が棄権し5度目の防衛に成功した。2004年3月6日、レジナルド・マルティンス・カルヴァルホと対戦。ブラジル最短となる8戦での世界奪取を目指すカルヴァルホを相手に序盤からプレッシャーをかけてロープに追い込み、連打をまとめてレフェリーストップを呼込み6度目の防衛に成功した。2005年12月5日、1年9ヶ月ぶりの世界王座防衛戦。フランスのル・カネにあるパレ・オムニスポールで、国内トップアマチュア選手だったバーナード・アイノンと対戦した。13戦全勝のアイノンを初回から圧倒し、10回にダウンを奪う。結果11回44秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。最後は連打にさらしてレフェリーが手数が出なくなったアイノンを救い出す形でストップした。2006年8月5日、コルドバ州コルドバにあるで、レクソン・フローレスと対戦した。タンクの異名を取ったフローレスのタフに苦しめられたが、結果12回3-0(120-108、2者が119-109)と完封と言える快勝で8度目の防衛に成功した。2006年10月14日、ワルベルト・ラモスと対戦し、9回にダウンを奪い12回3-0(115-111、117-109、115-112)の判定勝ちで9度目の防衛に成功した。2007年3月10日、フランスのル・カネにあるラ・パレステラにて、シドニーオリンピックでライトフライ級金メダルを獲得した元WBA世界ライトフライ級王者ブライム・アスロウム(フランス)と対戦した。2回にダウンを奪って最後までペースを握り、12回3-0(118-109、117-110、116-111)の判定勝ちで10度目の防衛に成功した。2007年9月14日、マルロン・マルケスと対戦した。試合は互角で進むも、4回に入ると一方的にナルバエスが打ちまくりそのままレフェリーが試合を止めた。4回2分47秒TKO勝ちを収め11度目の防衛に成功した。2008年1月25日、後のIBF世界ライトフライ級王者カルロス・タマラと対戦した。試合は強打のタマラを完全に封じて12回3-0(2者が119-109、120-108)と大差完封し12度目の防衛に成功した。2008年5月9日、スペインのリングに登場。ガリシア州ビーゴにある、パベロン・セントラルにてイヴァン・ポゾと対戦した。試合は小さな戦士の異名を持つポゾが好戦的でナルバエスを苦しめたが、中盤以降ナルバエスがパンチを散らしてポゾを封じ7回終了時にポゾ陣営が棄権、13度目の防衛に成功した。2008年9月20日、後のWBO世界バンタム級暫定王者アレハンドロ・エルナンデスと対戦し、終始エルナンデスを封じて12回3-0(119-110、117-111、116-112)の判定勝ちを収め14度目の防衛に成功した。2009年2月7日、22戦全勝のレイオンタ・ウィットフィールドと指名試合を行った。試合は終始ナルバエスがペースを握りウィットフィールドに何もさせなかった。最後は連打をまとめてレフェリーストップ、10回50秒TKO勝ちで15度目の防衛に成功した。2009年6月26日、オマール・ソト(メキシコ)の挑戦を受け、11回KO勝ちで16度目の防衛に成功した。その後2階級制覇に挑戦するため、WBO世界フライ級王座を返上した。2010年5月15日、ブエノスアイレスので、ホルヘ・アルセの王座返上に伴い行われたWBO世界スーパーフライ級王座決定戦でエバース・ブリセノと対戦し、12回3-0(117-108、2者が117-108、118-107)の判定勝ちを収め、フライ級に続く2階級制覇に成功した。2011年2月12日、ブエノスアイレスでビクトル・ザレタ(メキシコ)と対戦し、12回3-0(119-108、2者が120-107)の大差判定勝ちで初防衛に成功した。2011年4月16日、無敗の指名挑戦者セサール・セダと対戦し、12回判定勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。2011年6月11日、ウィリアム・ウリナと対戦、6回にウリナが減点されるとペースがナルバエスに傾き結果3-0(3者とも117-110)の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。2011年10月22日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン・シアターでWBC・WBO世界バンタム級王者ノニト・ドネアに挑戦したが、プロ初黒星となる12回0-3(3者共に108-120)の判定負けを喫し3階級制覇に失敗した。2012年4月21日、サンフアンのエスタディオ・アルド・カントーニでWBO世界スーパーフライ級2位で指名挑戦者のホセ・カブレラと対戦した。8回と10回にカブレラが減点されて自滅に近い形になり、12回3-0(2者が118-108、120-106)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。2012年10月20日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ルナ・パルクでジョニー・ガルシア(メキシコ)と対戦した。当初は10月17日に行われる予定だったが前日の16日に父が亡くなる不幸があり3日延期された。試合は終始ナルバエスがペースを握ると7回にダウンを奪って先制。11回に立て続けに3度ダウンを奪い、この試合4度目のダウンでガルシアが力を失ったように失神ダウンしレフェリーがその場でストップをかけた。11回2分55秒KO勝ちで5度目の防衛に成功した。2012年12月15日、トゥクマン州・トゥクマンでデビッド・キハノ(プエルトリコ)と対戦し、12回3-0(120-106、119-109、120-108)の判定勝ちを収め6度目の防衛に成功した。2013年5月25日、ブエノスアイレスのエスタディオ・ルナ・パルクで、WBO世界スーパーフライ級1位のフェリペ・オルクタ(メキシコ)と対戦し、12回2-1(2者が115-113、110-118)の判定勝ちを収め7度目の防衛に成功した。試合後オルクタのセコンドについていたイグナシオ・ベリスタインは判定に不満を漏らした。2013年8月24日、チュブ州・トレレウのヒムナシオ・ムニシパル N°1でWBO世界スーパーフライ級15位の久高寛之(仲里ジム)と対戦し、10回1分26秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。2013年12月21日、ブエノスアイレスのヴィラ・ラ・ナータ・スポーティング・クラブでWBO世界スーパーフライ級9位でWBO世界スーパーフライ級ユース王者のダビ・カルモナと対戦した。6回にダウンを奪い、あわやカウントアウト寸前まで追い詰めると7回に連打をまとめカルモナ陣営のタオル投入で試合終了し、9度目の防衛に成功した。2014年5月17日、コルドバ州ヴィヴァ・マリアのアウフィテアントロ・ムニシパルでWBO世界バンタム級ユース王者のアントニオ・ガルシアと対戦し、ボディショット一撃でKOを奪い試合終了。4回3分KO勝ちを収め10度目の防衛に成功した。2014年9月19日、アルゼンチンのコルドバ州で7度目の防衛戦で苦戦したWBO世界スーパーフライ級1位で指名挑戦者のフェリペ・オルクタと再戦し、12回2-0(2者が116-112、114-114)の判定勝ちを収め11度目の防衛に成功した。2014年12月30日、日本のリングに初登場。東京都渋谷区の東京体育館で元WBC世界ライトフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級8位の井上尚弥(大橋ジム)と対戦し、初回にキャリア初のダウンを2度奪われる展開となり、2回も井上の攻勢の前に劣勢を強いられこの試合4度目となるダウンでナルバエスは立ち上がることが出来ず2回3分1秒KO負けを喫し12度目の防衛に失敗、4年7ヵ月保持していた王座から陥落した。試合直後のリング上ではナルバエス陣営がグローブに鉛を仕込んでいるのではないか?とクレームをつけた。大橋秀行会長が井上尚弥のグローブをその場で外して相手に確認させるとナルバエスのトレーナーは、苦笑いを浮かべて「グレートなニューチャンプだ!」と一言返したとのこと。2015年1月10日、WBOは最新ランキングを発表し、上述の井上戦で王座から陥落したナルバエスはWBO世界スーパーフライ級6位にランクインした。2015年10月10日、10か月振りの復帰戦がいきなりの地域王座決定戦。Ce.De.M.N。2でディエゴ・ルイス・ピチャルド・リリアーノとWBOラテンアメリカスーパーフライ級王座決定戦を行い10回3-0(2者が100-90、99-91)の判定勝ちで王座獲得に成功し試合後来年に井上とのリマッチを熱望した。2016年2月20日、チュブ州プエルト・マドリンでIBFラテンアメリカバンタム級王座決定戦でヘスス・バルガスと対戦。8回開始早々バルガスが棄権した為、バンタム級進出初戦で王座獲得に成功した。2016年4月15日、IBFは最新ランキングを発表し、上述のバルガス戦に勝利し王座を獲得したナルバエスをIBF世界バンタム級9位にランクインした。 2016年6月11日、ヒムナシオ・ムニシパル N°1でプレイロール・テランと対戦し10回3-0(3者共に100-89)の判定勝ちを収めIBFラテンアメリカ王座の初防衛に成功した。試合後井上の挑戦を諦めIBF世界バンタム級王者リー・ハスキンスに挑戦する事を示唆した。

出典:wikipedia

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